story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 74
府中にこだましたナカノ・コール
アイネスフウジンと歓呼の叫び
2022年7月号掲載掲載
絶好枠があだとなり
皐月賞は不向きなレースに
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1990年が明け、3歳になったアイネスフウジンの初戦は2月の共同通信杯4歳S(現共同通信杯)となった。東京競馬場の芝1800㍍を鮮やかに逃げ切り、未勝利戦から3連勝を飾った。また東京競馬場では2戦2勝となった。
続く弥生賞(現弥生賞ディープインパクト記念)は1番人気に支持されたが、あいにくの道悪になった。中野騎手は少しでも馬場状態のいい場所を走らせようと距離のロスを覚悟の上で内めを避けた。けれどもラスト1ハロンが13秒9もかかるような不良馬場は大跳びでスピードのあるアイネスフウジンには悪すぎた。4着。生涯で最悪の着順を記録してしまった。
弥生賞は敗因がはっきりしていたので陣営に落胆はなかった。4月15日、第50回皐月賞も弥生賞に続いて1番人気になった。
1枠2番の絶好枠。しかし、これがあだになった。スタート直後、隣の3番枠にいたホワイトストーンが内側に切れ込み、1番枠のワイルドファイアーとの間に挟まれる形になった。スタートダッシュに失敗。1コーナーでなんとか2番手を確保したが、予想外の展開になった。アイネスフウジンの良さはハイペースを長い間持続できることだ。朝日杯で見せたレースが理想の形だ。皐月賞で逃げたフタバアサカゼのペースはあまりに遅すぎた。ハイペースで先行できるアイネスフウジンだが、スローペースだからといってゴール前で鋭い末脚を繰り出すタイプでもない。皐月賞はアイネスフウジンには不向きなレースだった。
3コーナーすぎで先頭に立ち、懸命に逃げ込みをはかったが、満を持してスパートしたハクタイセイにかわされ、クビ差の2着。スタート直後の不利が最後の最後に響いた悔しい惜敗だった。
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