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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

未来に語り継ぎたい名馬物語 74

府中にこだましたナカノ・コール
アイネスフウジンと歓呼の叫び

有吉正徳 MASANORI ARIYOSHI

2022年7月号掲載掲載

1990年の日本ダービー。力強く逃げ切ったアイネスフウジンと中野栄治騎手に贈られたのは、
20万人に近い観客の大歓声だった。自然発生的に沸き起こったナカノ・コールは、競馬の新時代を開くものとなった。

    ©H.Imai/JRA

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     1980年代後半から1990年代前半にかけて、第2次競馬ブームが巻き起こった。

     武豊騎手が1987年にデビューし、翌1988年にはオグリキャップが地方競馬の岐阜・笠松から中央競馬に移籍した。天才ジョッキーとアイドルホースが世間の目を競馬に向けさせた。1990年は第2次競馬ブームのど真ん中だった。

     それは馬券の売り上げと競馬場への入場者という2つの数字で証明される。この年、中央競馬の年間の馬券の売り上げは史上初めて3兆円を超え、3兆984億5725万9500円に達した。前年の2兆5545億2016万3200円から21・3%もの伸びだった。中央競馬は1954年の創立以来、4兆円を売り上げた1997年まで、ほぼ毎年のように右肩上がりの成長をしていた。けれども年間の売り上げが前年から5400億円も増えたことなど一度もなかった。

     競馬場への入場者も1990年は1068万7344人を数え、8年ぶりに1千万人超えを果たした。前年からの伸び率は16・9%。10%以上の伸びを見せたのはハイセイコーが地方競馬の大井から中央競馬に移籍した第1次競馬ブームの1973年以来17年ぶりのことだった。

     そんな競馬ブームど真ん中の1990年に日本ダービーで優勝したのがアイネスフウジンだった。レース当日、東京・府中市の東京競馬場を訪れたファンの数は19万6517人。32年後の今も中央競馬の最多記録として残る空前絶後の数字だ。

     アイネスフウジンは史上もっとも多くのファンに優勝を祝福された日本ダービー馬なのである。

    1990年の日本ダービー当日、正午過ぎのパドック。 この時点で10万人を超える観客が入場していた ©K.Ishiyama

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    スタンドは隙間がないほど、入場者で埋め尽くされた©H.Watanabe

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