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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    入厩時からの大物感に
    この馬でダービーを取る

    生涯キャリアわずか8戦、1年足らずだったが、起伏に富んだ競走馬生活を送ったダンスインザダーク©M.Yamada

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     橋口弘次郎調教師は、その当歳馬を牧場で見たときに「この馬でクラシックを狙える」と思った。「クラシックに出られる」ではない。クラシックを狙える馬だと感じたのである。

     父は鳴り物入りで日本に輸入されたアメリカのチャンピオンホース、サンデーサイレンス。血統的な背景から種牡馬としての成功を疑問視する声もあったサンデーサイレンスだが、その初年度産駒の評判は上々だった。同馬は2年目の産駒になる。

     母のダンシングキイはアメリカからの輸入牝馬で、大種牡馬ニジンスキーの直仔だ。父トニービンの産駒エアダブリンはのちのダービー2着馬。さらに、まだデビュー前ではあったが、サンデーサイレンスの初年度産駒である、ひとつ上の姉ダンスパートナーも、のちにオークスを勝つことになる。

     だから血統的な裏付けは申し分ないのだが、それ以上に橋口調教師の心を捉えたのは、馬体に漂う大物感だった。

     この馬でダービーを取る。

     ダンスインザダークという名を与えられたその馬が、栗東の橋口厩舎に入厩してきた日から、ダービーを念頭に置いた調教が始まった。

     とはいえ、漫然と「ダービーを目標にした」調教をしたのではない。それはどの馬でもすることだが、この馬の場合は、ダービーまでのローテーション、出走するステップレースをすべてダービーから逆算して、デビューの日もそこから決められたのだ。

     ダービーを取るためのデビュー戦。それが1995年12月3日、阪神競馬場での新馬戦だった。11頭立てのレースで、ダンスインザダークは当然のように1番人気に推されていた。

     スタートそのものは悪くなかったものの、後方からの競馬になり、3コーナーあたりでは早くも鞍上・武豊の腕が動く。しかし反応はいまひとつで、4コーナーでも中団後ろのまま。が、直線で外に出して追い出してからがすごかった。終始内にささり、物見をするような仕草さえ見せるのだが、それでも一頭だけ違う脚色で豪快に差し切ってしまう。やはり、並の馬ではない。

     続いて駒を進めたのが、これもデビュー前から予定していた、12月23日のラジオたんぱ杯3歳Sである。

     この年のクラシックは、サンデーサイレンスの初年度産駒が席巻していた。ジェニュインが皐月賞、タヤスツヨシがダービー、そしてダンスパートナーがオークスを勝って、まさにサンデーサイレンス旋風が吹き荒れていたのだ。

     それに続く第2世代にも有力馬が目白押しで、2歳チャンピオンのバブルガムフェローに加え、イシノサンデー、ロイヤルタッチ、そしてダンスインザダークが「サンデーサイレンス四天王」などと呼ばれるようになっていたのだが、このレースには、そのうちイシノサンデー、ロイヤルタッチも出走してきていた。

     レースはデビュー戦と対照的に4、5番手の好位を進む態勢となり、すぐ後ろにはロイヤルタッチとイシノサンデーがぴたりとつける。

     ダンスインザダークは4コーナーから直線にかけて前が狭くなるところをこじ開けるように出てきたが、先に抜け出したイシノサンデー、外から追い込んだロイヤルタッチに及ばず3着に終わる。

     明けて3歳初戦となったきさらぎ賞では、これも好位から直線でロイヤルタッチを交わして先頭に立ったが差し返され、クビ差の2着に終わった。しかし、レースぶりも安定して、確かな成長が見られたのは大きな収穫だった。

     そして、ダンスインザダークが紛れもなくクラシックの主役の1頭であることを示したのが、次の弥生賞である。

     このレースは後方からの競馬となった。スローな流れを3コーナー手前から動き、徐々に前へ出ると、4コーナーでは大外を絶好の手応えで回る。直線ではひと追いごとに伸びて、追いすがるツクバシンフォニー、イシノサンデーを突き放す。1馬身という着差以上の完勝、圧勝だった。

    1995年 新馬 ● 優勝 デビュー前から目標はダービー制覇。2歳12月の初陣は直線で内側にささりながら、逃げ馬を捉えた©K.Yamamoto

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    1996年 弥生賞 ● 優勝 重賞3、2着を経て、関東初遠征。後に皐月賞を制するイシノサンデー(3着)らを下し重賞初制覇©H.Watanabe

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