story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 68
武豊騎手に初GIをプレゼント
スーパークリークと信念の襷
2021年12月号掲載掲載
1988年の菊花賞を武豊騎手とのコンビで5馬身差圧勝、天皇賞秋春制覇も遂げた生粋のステイヤー。
彼がもたらした栄光には、ホースマンたちの思いが集約されていた。
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サラブレッド史上最も成功した種牡馬と言われるノーザンダンサーがこの世に生まれてから丁度24年後の同じ日に、北海道沙流郡門別町(現日高町)にある柏台牧場で同馬の玄孫にあたる鹿毛を纏った牡馬が誕生した。本稿の主役スーパークリークである。ノーザンダンサー自身は小さな馬で、1歳時の体高が僅か142㌢と見栄えがしなかったため買い手が付かなかった。そのため、生産者であるE・P・テイラー氏の名義で走ることになり、その後カナダ産馬ながらケンタッキーダービーで優勝している。この父系は当初小さな馬が多かったが、直仔のニジンスキーから分かれる系統には雄大な馬格の馬が多く、グリーンダンサー、ノーアテンションと続きスーパークリークにもその遺伝子が伝わっている。
父ノーアテンションは3歳(注:馬齢表記は現行ルールに従う。以下同)時から2400㍍を中心に使われてきたクラシックディスタンスを得意とする馬でG1勝ちこそないものの、欧州古馬の重要なレースであるオイロパ賞(独G1)とドーヴィル大賞(仏G2)で2着と好走。障害競走でも8戦2勝2着4回とスタミナがあることを証明し、1982年12月に日本へ輸入された。そうしたノーアテンションの良さを認めた当時の生産者の中に、新進気鋭の牧場主でビッグレッドファームを率いていた岡田繁幸(故人)がいた。欧米の生産地帯を見てきた岡田は親交があった柏台牧場社主・相馬和胤(かずたね)に外国産種牡馬を利用した配合についても提案をしており、ナイスデイにノーアテンションを配合する案も岡田の助言が影響している。そして後日、スーパークリークが大輪を咲かせる上でも重要な役割を果たすことになる。
当歳時のスーパークリークは大柄な馬で、当時日本では珍しかった昼夜放牧でじっくり育てられている。私自身も幼少の頃、同場を何度か訪問しており、木々に囲まれた広々とした放牧地を持つ綺麗な牧場の風景を覚えている。こうして優れた環境で生まれ育った同馬だが、左前膝以下が肢軸からずれているという欠点があり当歳馬セリでは買い手が付かなかった。しかし、ここで幸運が訪れる。翌年の1歳馬セリに参加していた調教師・伊藤修司の目に留まり、僅か二声ながら落札されたのだ。セリ終了後、同馬の資質を信じる伊藤の勧めに従い、木倉誠が所有することとなり「小さな川(クリーク)でも、いずれは大河になってほしい」という願いをこめてスーパークリークと命名された。
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