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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

未来に語り継ぎたい名馬物語 63

挫折と栄光を横山典弘騎手と共に
メジロライアンの歩んだ道

斎藤修 OSAMU SAITO

2021年6月号掲載掲載

若き横山典弘騎手と頭角を現し、クラシックに挑むも3、2、3着。
GIの壁は高くとも挑み続け、6度目の挑戦となった宝塚記念で結実した。
人馬で成長を重ね、ファンに愛された名優の姿をここに振り返る。

    ©H.Imai/JRA

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     時代が昭和から平成に変わるころ、競馬場の景色が一変した。

     おじさんたちの聖域だった競馬場に若者が押し寄せた。スターホースのぬいぐるみが飛ぶように売れ、若い女子たちはそのぬいぐるみを抱え、騎手や馬に声援を送った。それまで騎手にかかる声といえば、多くは馬券おやじのヤジだったが、それが黄色い声援に変わった。

     競馬場に若者やファミリー層を呼ぶことはJRAにとって長年の課題となっていたが、CMなどイメージ戦略を続け、それが現実のものとなった。笠松から中央に移籍して痛快に勝ち続けたオグリキャップや、デビューして間もなく“天才”と言われるようになった武豊騎手の活躍があってこそだが、バブル景気も相まっての競馬ブームは、社会現象といえるほどの盛り上がりだった。

     一方で、競馬場は慢性的に混雑し、GIレースともなれば、パドックを見て、馬券を買って、レースを見る、という当たり前の行動がままならない。席取りが横行し、傍若無人に振る舞う若者も少なくなかった。ベテランの競馬ファンには違和感や不満もあったはず。

     そうした盛り上がりと喧騒の競馬ブームの象徴が、“ナカノ・コール”に迎えられたアイネスフウジンの日本ダービーであり、ラストランで奇跡の復活を見せたオグリキャップの有馬記念ではなかったか。そのレースで、ともに2着という脇役に甘んじたのがメジロライアンだった。

     所属は美浦の奥平真治厩舎。1986年にメジロラモーヌが牝馬三冠を制して以降、“メジロ”の有力厩舎となっていた。

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