story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 62
若武者と咲かせた菊の大輪
ナリタトップロードのひたむきさ
2021年5月号掲載掲載
勝ち切れないレースが多くとも
ファンが抱き続けた思い
アスリートにとって強力なライバルの存在は幸運なのか、不幸なのか。名馬の戦いを振り返る時、そうした思いにしばしば駆られる。トップロードについてもまったく同じである。
明けて4歳となった2000年には、7戦して一つも勝てなかった。そのうちの実に6戦での勝ち馬がオペラオーだった。同馬はこの年、重賞8連勝、GI5連勝の偉業を達成する。一方では脚部不安のため、菊花賞を最後にベガは引退した。つまり三強は、古馬になって明暗を分けた。オペラオーが強大な敵として立ちはだかる中、12月の有馬記念では、トップロードの手綱はとうとう的場均に渡された。
その後も紆余曲折は続いていく。
01年の5歳シーズン、阪神大賞典をレコードで制したものの、天皇賞(春)ではまたもオペラオーに敗れた。秋の京都大賞典では落馬に遭遇し、一時は現役続行が危ぶまれたほどだった。だが、その後迎えたジャパンCの、ジャングルポケット、オペラオーに続く3着で健在ぶりを示した。そして、オペラオーが引退した翌02年には重賞を3勝した。
ただ、そのラストシーズンにおいても、天皇賞(春)は3着、天皇賞(秋)は2着、ジャパンCは10着と、二度目のGI制覇には手が届かなかった。渡辺の怪我により秋3戦の手綱は四位洋文が取ったが、有馬記念でラストランを迎えた時、渡辺とのコンビが復活した。そしてファンは、この人馬に、今一度の声援と温かい拍手を送ったのである。
優勝したのは3歳馬シンボリクリスエスだが、ファン投票の1位に選出されたのはトップロードだった。結果は4着ながら、渡辺を背に、最後の直線で懸命に末脚を伸ばそうとする姿は、デビューの頃から少しも変わらなかった。
愛すべきひたむきさ。
弟子を優しく見つめ、実父のごとく成長を願い続けた調教師の姿勢によるものか、馬を信じ、共に勝たんと懸命の模索を続けた騎手の姿勢によるものか、全30戦の走りから私たちは多くの感動をもらい受けた。チーム・トップロードの人馬には共通して、愛すべきひたむきさが備わっていたと思えてならない。だからだろう、勝ち切れないレースが多かったにもかかわらず、「トップロードは好きじゃない」と話すファンに、私はこれまで会ったためしがない。
(文中敬称略)
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ナリタトップロード NARITA TOP ROAD
1996年4月4日生 牡 栗毛
- 父
- サッカーボーイ
- 母
- フローラルマジック(父Affirmed)
- 馬主
- 山路秀則氏
- 調教師
- 沖芳夫(栗東)
- 生産牧場
- 佐々木牧場
- 通算成績
- 30戦8勝
- 総収得賞金
- 9億9011万2000円
- 主な勝ち鞍
- 99菊花賞(GI)/02京都大賞典(GⅡ)/02・01阪神大賞典(GⅡ)/02京都記念(GⅡ)/99弥生賞(GⅡ)/99きさらぎ賞(GⅢ)
- JRA賞受賞歴
- ―
2021年5月号掲載