競馬場レースイメージ
競馬場イメージ
出走馬の様子
馬の横顔イメージ

story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    充実につながるメンタル強化と
    パートナーとの出会い

     タップダンスシチーは、父が米G1を2勝したプレザントタップ(Pleasant Tap)、母の父がノーザンダンサー(Northern Dancer)という血統背景を持つ米国産馬。血統的にはさほど期待されていなかったが、それでも500㌔を超す雄大な馬体は見栄えがして、佐々木は初めて彼を見た際、「重賞の一つや二つは勝てるかもしれない」と感じたという。

     それよりも、スタッフが手を焼いたのは気性の難しさだった。

    「名前のとおり、レースに行く前にはまるでタップダンスを踏むように、ずっとチャカチャカしていた」と佐々木が言うように、パドックを周回するあいだ、いつもスタッフ二人が手綱を持つ、いわゆる“二人曳き”を強いられた。デビュー戦は後方からまったく伸びず2秒2差の9着に大敗したかと思えば、一転、折り返しの新馬戦では追い込みで際どい勝負を制して初勝利を挙げ、次走の若草Sはまた5着に敗戦と、気分屋の性格は成績にも表れていた。そんな中でも、1勝馬の身で臨んだ5月の京都新聞杯では、のちに日本ダービーを制するアグネスフライトと0秒5差の3着に食い込んで素質の片鱗を見せていたのは確かである。

     しかしメンタルの問題はなかなか解消せず、ようやく2勝めを挙げたのはそれから5戦後の12月になってからのことで、それも500万下クラスに居ながら、900万下の特別戦へ“格上挑戦”しての勝利だった。また、4歳になっても勝ち切れないレースを続けていたにもかかわらず、1000万下の身で2クラスも上の重賞、日経新春杯に出走すると、勝ったトップコマンダーと0秒2差の3着に来てしまう。それがタップダンスシチーの難しさであり、面白さでもあった。

     日経新春杯で強い相手と戦った経験が活きたか、彼は1000万下と1600万下の特別戦を連勝。5歳の春にしてようやくオープン入りを果たし、日経賞を僅差の2着、メトロポリタンSを3着とするなど、成績は徐々に安定していった。これには「いつもタップダンスを踏んでいた」彼のメンタルの不安定さが徐々に収まってきたことも大きく影響したと、のちに佐々木は愛馬の成長について振り返っている。

     5歳の9月、タップダンスシチーはその後の彼の競走生活を変える名パートナーと出会うことになる。騎手の佐藤哲三である。

     馬の状態や気持ちをビビッドに感じ取って分析できる優れた“ホースマン”である佐藤は、同時に、馬の個性を活かして勝利を掴むためには大胆な戦法を用いることも辞さない“勝負師”でもあった。

     佐藤哲三こそが、タップダンスシチーの個性にぴったりの騎手だった。

     人馬の相性の良さはすぐ結果に出た。コンビを組んで初戦となる朝日チャレンジC。道中3番手を進み、3コーナー付近からスパートして先頭に立つと、追いすがるイブキガバメントをクビ差抑えて重賞初制覇を達成。続く京都大賞典、アルゼンチン共和国杯をともに3着とし、京阪杯の5着を挟んで臨んだのが、冒頭に記した有馬記念。ここで惜敗の2着という走りを見せたタップダンスシチーを見て、佐藤は「ハナへ行ければ行くし、行けなくても無理せず控えてもいい。折り合いを重視して進み、3コーナーあたりからロングスパートをかけて押し切る。終いのキレ味はあまり無いが、長くいい脚が使えるタップダンスシチーにベストのレーススタイルだ」と確信したのである。

    2002年 朝日チャレンジC ● 優勝 デビューは3歳、オープン入りは5歳と出世は遅れたが、名パートナーとなる佐藤哲三騎手と初コンビで重賞初V©M.Sakitani

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