story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 51
府中で二度煌いた閃光
エイシンフラッシュの瞬き
2020年4月号掲載
2年半ぶりの勝利の先に
待っていた忘れ得ぬ光景
ダービー後のエイシンフラッシュは、ラストランとなる13年のジャパンカップまで、海外遠征を含めて20走した。だが、3歳秋の神戸新聞杯を除いて1番人気にはならなかった。
走るたび、もちろんそれなりに人気は集めたし、恥ずかしくない走りも示し続けたのだ。だがなぜなのか、人気面でも着順でも“1番”とは縁が薄かった。不思議であり、珍しいケースに思えてならない。
それでも12年、2度目となるGI制覇を飾ってみせる。天皇賞(秋)だ。この日の東京競馬場にはフェノーメノ(1番人気)、ルーラーシップ(2番人気)、カレンブラックヒル(3番人気)など、18頭の精鋭が集結した。
ダービーとは一転、快足の逃げ馬・シルポートの刻むラップは速かった。1000㍍を57秒3で通過し、2~7ハロン目に11秒台が続いた。
鞍上には、初のコンビとなるミルコ・デムーロがいた。後方馬群の真っ只中でじっくりと脚をため、人馬は末脚を繰り出すタイミングを窺っていた。だが、縦長の馬群は容易には縮まらず、シルポートが直線を向いてなお、10馬身以上の差があった。どこで捕まえられるのか、馬場のどこを選ぶべきなのか、鞍上の腕と判断の試される展開になった。
それにしても、GIを勝つ時とはこんなものなのか。ビクトリーロードの用意は、競馬の神様の力添えか。
大逃げを打ったシルポートはいずれ垂れる、と誰もが思っていた。だから、影響を避けようと、どの馬も外に持ち出したが、そこに1頭だけ、ラチ沿いを伸びてくる馬がいた。脚色は申し分なく、あれよあれよという間に先頭へ躍り出たではないか。
「ダービー馬・エイシンフラッシュ、再びこの府中で輝きました!」
ゴールに飛び込んだ瞬間、そんな実況がスタンドにこだました。
いや、ビクトリーロードなどあるはずはないのだ。人馬が自力で見つけ出した進路であり、伸びきれたのは紛れもない実力なのである。先を急げば、ダービー以降、この天皇賞(秋)と13年の毎日王冠、エイシンフラッシュの勝利は2度に限られる。舞台はすべてが東京競馬場、その馬場形状が彼の脚質に適合していたのはどうやら間違いない。
忘れ得ぬ光景に遭遇できたのは、ウイニングランの途中だった。鞍上が突然、スタンドの正面で下馬すると、馬場に跪いたのである。
ヘヴンリーロマンスが優勝した7年前と同じく、競馬場に両陛下のお姿があった。片手に手綱を握ったままでデムーロは、ヘルメットを胸に抱え込んで深く頭を垂れた。示した最敬礼は、西洋の騎士を思わせる、真心のこもった所作だった。
誰もが7年前を思い起こしていた。あの日のヘヴンリーロマンスと松永幹夫は、両陛下に正対して、馬上から深く一礼した。双方の対比がファンは嬉しくてならず、2度の最敬礼は今もなお、平成を代表する名シーンとして皆の記憶に残っている。
その後13年のシーズンを走りきり、エイシンフラッシュは種牡馬入りした。まわりへと目をやれば、同じ年に生まれ、同じ父を持つワークフォースも日本で種牡馬となり、父キングズベストも同じく来日を果たした。血の継承のこうした流れを形成したのは、まぎれもなく府中の直線を貫いた“閃光”だった。GI制覇はたとえ2度でも、孤高の輝きを私たちが忘れることはない。
(文中一部敬称略)
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エイシンフラッシュ EISHIN FLASH
2007年3月27日生 牡 黒鹿毛
- 父
- King's Best
- 母
- ムーンレディ(父Platini)
- 馬主
- 平井豊光氏→平井克彦氏
- 調教師
- 藤原英昭(栗東)
- 生産牧場
- 社台ファーム
- 通算成績
- 27戦6勝(うち海外2戦0勝)
- 総収得賞金
- 7億8711万6400円(うち海外3104万4400円)
- 主な勝ち鞍
- 12天皇賞(秋)(GI)/10日本ダービー(GI)/13毎日王冠(GⅡ)/10京成杯(GⅢ)
- JRA賞受賞歴
- ―
2020年4月号