競馬場レースイメージ
競馬場イメージ
出走馬の様子
馬の横顔イメージ

story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    突如終焉を迎えた独演
    その後に映し出された光景

    1965年菊花賞●2着:三冠最終戦はダイコーターの前に惜敗。古馬となってからは1年以上の長期休養も経験したが、復帰後は5戦4勝と再び上昇気流に乗った©JRA

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     ダービーから2年後の昭和42年、季節は真冬の12月17日阪神競馬場、ついにあのレースを迎える。その日も僕たち4人は小川で箸競馬をして遊んだあと、競馬中継を観るために僕の家へ帰った。僕は少し浮かれていた。大好きなキーストンが阪神大賞典に出走するからだ。

    「キーストン勝つやろか」。僕の顔色を窺いながらヨシヒロが呟く。「勝つ勝つ。今日も逃げ切り勝ちや」。ずば抜けて競馬に詳しいヒトシが自信たっぷりに答え、僕はちょっと安心する。

     ゲートが開く。すぐにキーストンが楽に先頭に立つ。そしてそのスピードに乗り快調に逃げる。4コーナーから直線、キーストンのスピードは更に上がり、独演が始まった。「楽勝や!」ヒトシが言う。が、その瞬間、ガツンという感じでキーストンの体がつんのめり、前に倒れ、山本は前方に放り出された。ゴール前300㍍43の出来事だ。山本は脳震盪を起こし動かない。「えーっ!」「うそー!」僕たちもテレビの前で叫んでいた。その後だ、僕たちの目の前に信じ難い光景が映し出されたのは。

     キーストンは左脚の脱臼で倒れ、山本が落ちてからも余力でほんの少し走った。けれどすぐに止まり、左前脚をぶらぶらさせながら、3本の脚でひょこ、ひょこ、ひょこと山本のそばへ引き返したのである。そして愛おしそうに、うつ伏せで倒れている山本騎手の顔に自分の鼻を持っていき、何度も鼻面をこすりつけた。目を覚ましてください、というように。意識を戻した山本騎手は何が起こったのかを悟り、ぶらぶらと揺れているキーストンの脚を見て、このあと最愛の戦友がどうなるのかを理解する。そして夢中でキーストンの顔を抱きしめたのだった。僕たちは言葉もなく、ただひたすらこの光景を見ていた。それぞれが、ひとりひとり何かを感じながら。

           ◇
     80歳のクリスマスイブの夜、山本は静かにその生涯を閉じた。亡くなる数年前にキーストンをとりあげたテレビ番組で話されるのを僕は何度も観た。

    「もしも私が死んで天国へ行けたなら、親父やお袋には申し訳ないが、まずキーストンに逢いたい」(文中一部敬称略)

    1967年阪神大賞典●競走中止:左前脚を脱臼し、非業の最期を遂げた(写真右)。落馬した山本騎手に寄り添う姿は語り草となっている©JRA

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    ©JRA

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    キーストン KEYSTONE

    1962年3月15日生 牡 鹿毛

    ソロナウェー
    リットルミッジ(父Migoli)
    馬主
    伊藤由五郎氏
    調教師
    松田由太郎(京都)
    生産者
    高岸繁氏
    通算成績
    25戦18勝
    総収得賞金
    4245万3400円
    主な勝ち鞍
    50日本ダービー
    JRA賞受賞歴
    64啓衆社賞最優秀3歳牡馬/65啓衆社賞最優秀4歳牡馬、最良スプリンター ※表記は当時のもの

    2020年3月号

    松田正弘 MASAHIRO MATSUDA

    1958年生まれ、京都府出身。2009年、目の手術による下向きの生活の悲喜こもごもを描いた『下を向いて歩こう』で優駿エッセイ賞グランプリを受賞。京都・錦市場入口で食堂居酒屋「風景」を営みつつ、「優駿」誌上にてエッセイ「馬の景 風の景」を連在中。

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