story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 50
人馬一体で駆けた超特急
キーストンが残したもの
2020年3月号掲載
突如終焉を迎えた独演
その後に映し出された光景
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ダービーから2年後の昭和42年、季節は真冬の12月17日阪神競馬場、ついにあのレースを迎える。その日も僕たち4人は小川で箸競馬をして遊んだあと、競馬中継を観るために僕の家へ帰った。僕は少し浮かれていた。大好きなキーストンが阪神大賞典に出走するからだ。
「キーストン勝つやろか」。僕の顔色を窺いながらヨシヒロが呟く。「勝つ勝つ。今日も逃げ切り勝ちや」。ずば抜けて競馬に詳しいヒトシが自信たっぷりに答え、僕はちょっと安心する。
ゲートが開く。すぐにキーストンが楽に先頭に立つ。そしてそのスピードに乗り快調に逃げる。4コーナーから直線、キーストンのスピードは更に上がり、独演が始まった。「楽勝や!」ヒトシが言う。が、その瞬間、ガツンという感じでキーストンの体がつんのめり、前に倒れ、山本は前方に放り出された。ゴール前300㍍43の出来事だ。山本は脳震盪を起こし動かない。「えーっ!」「うそー!」僕たちもテレビの前で叫んでいた。その後だ、僕たちの目の前に信じ難い光景が映し出されたのは。
キーストンは左脚の脱臼で倒れ、山本が落ちてからも余力でほんの少し走った。けれどすぐに止まり、左前脚をぶらぶらさせながら、3本の脚でひょこ、ひょこ、ひょこと山本のそばへ引き返したのである。そして愛おしそうに、うつ伏せで倒れている山本騎手の顔に自分の鼻を持っていき、何度も鼻面をこすりつけた。目を覚ましてください、というように。意識を戻した山本騎手は何が起こったのかを悟り、ぶらぶらと揺れているキーストンの脚を見て、このあと最愛の戦友がどうなるのかを理解する。そして夢中でキーストンの顔を抱きしめたのだった。僕たちは言葉もなく、ただひたすらこの光景を見ていた。それぞれが、ひとりひとり何かを感じながら。
◇
80歳のクリスマスイブの夜、山本は静かにその生涯を閉じた。亡くなる数年前にキーストンをとりあげたテレビ番組で話されるのを僕は何度も観た。
「もしも私が死んで天国へ行けたなら、親父やお袋には申し訳ないが、まずキーストンに逢いたい」(文中一部敬称略)
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キーストン KEYSTONE
1962年3月15日生 牡 鹿毛
- 父
- ソロナウェー
- 母
- リットルミッジ(父Migoli)
- 馬主
- 伊藤由五郎氏
- 調教師
- 松田由太郎(京都)
- 生産者
- 高岸繁氏
- 通算成績
- 25戦18勝
- 総収得賞金
- 4245万3400円
- 主な勝ち鞍
- 50日本ダービー
- JRA賞受賞歴
- 64啓衆社賞最優秀3歳牡馬/65啓衆社賞最優秀4歳牡馬、最良スプリンター ※表記は当時のもの
2020年3月号