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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    ダービーを前に訪れた
    両陣営のお家騒動

    1965年皐月賞●14着:逃げるも早々に失速。大幅馬体減も影響し、初めて掲示板を外す大敗を喫し、乗り替わりの話も出た©JRA

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     ところがダービーの直前に信じ難いことが起こる。ダイコーターの馬主が橋元氏から上田清次郎氏へと変わったのである。大一番直前のオーナーのトレードなどまさに前代未聞のことで、これは当時の競馬ファンや関係者に大きな衝撃を与えた。上田氏は、天皇賞やクラシックを勝利している著名な馬主であったが、ダービーだけは勝っていなかった。ダービーの優勝賞金以上とも噂される金額を出してまでダイコーターを手に入れ、どうしても欲しかったダービー馬のオーナーという名誉。それはやはりとてつもなく魅力的で価値のあるものだったのだろう。けれど財力にモノをいわせたこのなりふり構わぬ行為により、庶民的な競馬ファンたちは「ダービーを金で買うのか」という反感を抱くことになる。そしてそれは、何の罪もないダイコーターへのアンチな感情へと転嫁されてゆくのであった。

     一方キーストンの陣営でもあることが起きていた。皐月賞の惨敗によって、馬主の伊藤氏がダービーでの騎手の乗り替わりを提言したのだ。けれどキーストンの松田由太郎調教師と、山本が元々所属していた武田文吾調教師の2人が「山本に乗らせてやってくれ」と直訴。続投が決まるのである。後に山本は、この件に関しての深い感謝の気持ちを述べている。

     ダービー当日は雨だった。不良馬場を苦にしないキーストンにとっては願ってもないことだ。ダイコーターが圧倒的な1番人気。キーストンは2番人気ながら7・6倍の単勝オッズ。内枠(2番枠)を利して絶好のスタートを決め、軽快に逃げるキーストン。山本は少しずつペースを落としスタミナを温存する。そして4コーナーから徐々に馬場のいい外側へ持ち出す。直線、仕掛けられたキーストンはみるみる後続との差を広げる。ごちゃつくインでもがいていたダイコーターが外に出てスパートし、さすがにひと捲りで他馬を交わす。2番手に上がりスタンドがどよめくが、1馬身4分の3まで迫るのが精一杯だった。

     ダービー初騎乗の山本がキーストンでダービージョッキーの栄光を手に入れた瞬間だ。

    オープン競走を経て日本ダービーに出走。不良馬場の中、21頭を引き連れて果敢に逃げた©JRA

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    1965年日本ダービー●優勝:ダイコーター(左)が一歩ずつ迫るが、先に抜け出したキーストンがライバルを振り切って世代の頂点に立った©JRA

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