story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 47
戦う場所を選ばない怪物
タケシバオーの気概
2019年11月号掲載
三強での再戦を経て
再び世界の舞台へ
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天皇賞(春)。昨年のダービー以来の三強対決。1年が経過し、ライバル2頭も成長を遂げていたが、タケシバオーには遠く及ばなかった。
レースは長距離戦特有のゆったりとしたペースで淡々と流れていく。タケシバオーは離れた3番手。それを見るようにアサカオー、マーチスが控える。これまでの三強対決と同じ構図でゴールを目指した。違ったのは一流馬から怪物へと変身したタケシバオーの自信だった。先に動けば2頭の餌食になる。そんな心配など忘れたかのように直線半ばで先頭に立つと、そのまま2着のアサカオーに2馬身の差をつけて悠々と勝利。ゴール前200㍍を推定10秒台で走り抜けた。その後、熱発で宝塚記念は自重し、7月、ジュライステークス(芝1800㍍)に出走。65㌔のハンデを克服して連勝を「6」にのばした。
秋。タケシバオーに課せられたのはワシントンDCインターナショナル招待競走でのリベンジだった。今度こそ日本馬の実力を世界に知らしめる。
それを目標に毎日王冠(ダート2100㍍)に出走、62㌔のハンデで勝利し、この時点で日本の競走馬で史上初の獲得賞金1億円を突破。さらに遠征前の壮行レース、英国フェア開催記念も生涯5度目のレコードタイムで勝利。3200㍍と1200㍍の重賞競走を制する離れ業を演じ、勇躍、アメリカへと渡った。
しかし、現地到着後に体調を崩し、レース当日まで回復することはなかった。馬のためには出走させるべきではない。いや、日本の代表馬として選ばれた限りは出さないわけにはいかない。苦渋の選択を迫られた小畑は断腸の思いで後者を選択。タケシバオーも必死で走ったが、最下位でゴール。リベンジはならなかった。
これを最後に彼は競走生活に終止符を打つことになるが、もしも完調で走っていれば…。いや、見果てぬ夢など見るのはよそう。それよりも半世紀前、距離の壁を楽々と超え、芝、ダートを問わず、ハンデをものともしなかった究極のオールラウンダー、タケシバオーという名馬がいたことだけは覚えておいてほしい。
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タケシバオー TAKESHIBA O
1965年4月23日生 牡 鹿毛
- 父
- チャイナロック
- 母
- タカツナミ(父ヤシママンナ)
- 馬主
- 小畑正雄氏
- 調教師
- 三井末太郎(東京)
- 生産者
- 榊憲治氏
- 通算成績
- 29戦16勝(うち海外2戦0勝)
- 総収得賞金
- 1億1365万4200円
- 主な勝ち鞍
- 69天皇賞(春)/67朝日杯3歳S/69京都記念(春)/69毎日王冠/69東京新聞杯/英国フェア開催記念/68東京4歳S
- 表彰歴等
- 顕彰馬(04年選出)
- JRA賞受賞歴
- 67年啓衆社賞最優秀3歳牡馬/69年啓衆社賞年度代表馬、最優秀5歳以上牡馬
2019年11月号