story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 45
時代の先を駆けた韋駄天
サクラバクシンオーの疾駆
2019年8月号掲載
新境地を開拓し、前年の1、2着馬との再戦
すべての写真を見る(10枚)
すべての写真を見る(10枚)
すべての写真を見る(10枚)
厳しいローテーションで一年を走り通した反動もあったのだろうか。サクラバクシンオーは脚部不安のために春シーズンをまるまる休養にあてることになった。だが幸いにして、この9カ月にも及ぶブレイクが彼の成長を大いに促すことになる。
復帰戦のオータムスプリントSは道中で2番手に控えて折り合い、直線で抜け出してくるという新境地を開拓。次走の1600㍍戦、アイルランドトロフィーは苦手の重馬場で4着に敗れるも、続くキャピタルS(1400㍍)では再び2番手から差し切るという“味のある”競馬で勝利を挙げた。このとき彼はすでに“一介のスピード馬”という殻を脱ぎ捨て、王者の座を着々と手繰り寄せていたのだ。
いよいよ頂点を極めるときが来た。前年は6着に敗れたGI、スプリンターズS。前年の1、2着馬であるニシノフラワーとヤマニンゼファーが顔を揃え、サクラバクシンオーがその能力を見せつけるには十分な舞台が整った。ゲートを飛び出すと彼はすぐに折り合って3番手を追走。そして直線に入って“馬なり”で先頭に立つと、追いすがるライバルをまったく寄せ付けず、2着のヤマニンゼファーに2馬身半の差を付けて完勝のゴールを駆け抜けた。
手綱をとった小島太が「以前は一本調子の逃げしか打てなかったが、好位から抜け出す競馬ができるようになった。馬が本当に成長している」と称えれば、調教師の境勝太郎は「びしびしと稽古ができるようになって、やっと本格化してくれた」と、その喜びを直截に表した。
その後、3カ月半の休養を挟んで戦列に戻ったサクラバクシンオーは、94年4月のダービー卿チャレンジトロフィー(当時は1200㍍)を快勝した。しかし次に進んだのは、決して得意とは言えないマイルGIの安田記念だった。今では春のスプリント王決定戦と位置付けられている高松宮記念が1200㍍のGIとなったのは96年のこと。短距離路線の整備が始まったばかりだったこの頃のトップホースにとってはやむを得ない選択であり、健闘はしたものの、ノースフライトの4着に終わった。
秋は1800㍍の毎日王冠からスタートして4着となると、スワンSへと転戦。ここで春の安田記念で苦杯を飲まされたノースフライトに一太刀浴びせ、1分19秒9という当時としては驚異的な日本レコードで勝利を挙げた。だが、続くマイルチャンピオンシップではマイル女王にリベンジを許して2着に敗れた。
すべての写真を見る(10枚)