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出走馬の様子
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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    国境を越えての転戦で
    状態を上げていった

    2001年香港C●優勝:勢いそのままに、初の海外遠征。日本馬3連勝の掉尾を飾るだけでなく、わずか2カ月余りで地方→中央→海外のGⅠを転戦し、勝利を挙げた©S.Sakaguchi

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    2002年フェブラリーS●優勝:5歳シーズンはフェブラリーSから始動。GⅠ馬10頭が顔を揃えたハイレベル戦に勝利し、ドバイワールドCでの世界制覇に照準を合わせた©M.Watabe

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     芝でもダートでも真価を示すことができるという特性を遺憾なく発揮していたアグネスデジタルが、アウェイでもホームと同様のパフォーマンスができるという特性を初めて披露したのが次走だった。シャティンを舞台としたG1香港Cを快勝。同年の香港国際競走では、香港ヴァーズをステイゴールドが、香港マイルをエイシンプレストンが制し、敵地でのG1・3連勝という日本競馬史に燦然と輝く偉業が達成された。

     帰国初戦のGIフェブラリーSも快勝したアグネスデジタルだったが、勇躍挑んだG1ドバイワールドCでは6着という不本意な成績に終わった。輸送便が経由地の香港で機材トラブルを起こし、現地到着が予定より6時間遅れるというアクシデントがあったのに加え、集中豪雨のためレース当該週の追い切り予定が変更になるという不運に見舞われたのだ。

     しかし、同馬の第二の特性が改めて浮き彫りになったのが次走だった。アグネスデジタルはG1クイーンエリザベスⅡ世Cに挑むべく、ドバイから香港へ転戦したのである。60年代終盤にスピードシンボリが英国から仏国に渡り、70年代前半にメジロムサシが仏国から米国に渡った例はあったが、日本馬の海外遠征が日常的になった90年代以降、敵地から敵地へ国境を越えての転戦というのは、ほとんど見られたことがなかった。アウェイで続戦しつつ出走態勢を整えるのは、容易ならざることなのだ。

     ところが、前述したような理由でドバイでは本調子になかったアグネスデジタルが、香港に渡ると日毎に状態を上げていったのである。そして、エイシンプレストンの2着に入り、日本馬による1・2着独占という快挙の一翼を担ったのであった。

     その後はさすがに疲労が出たアグネスデジタルだったが、1年以上の休養を経て03年5月に復帰。2戦目となったGI安田記念をトラックレコードで快勝して、4年連続GI制覇を成し遂げている。

     様々な既成概念を覆した異端の天才は、どんな環境におかれても全能力を発揮しようと試みる、誠にもって真摯なアスリートであった。

    2002年クイーンエリザベスⅡ世C●2着:ドバイでは万全の状態で臨めず6着に敗れた後、直後香港入り。惜しくも2着だったが、この転戦は日本馬にとって新たな海外挑戦の形だった©H.Watanabe

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    ©H.Watanabe

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    アグネスデジタル AGNES DIGITAL

    1997年5月15日生 牡 栗毛

    Crafty Prospector
    Chancey Squaw(父Chief's Crown)
    馬主
    渡辺孝男氏
    調教師
    白井寿昭(栗東)
    生産者
    Catesby W.Clay & Peter J.Callahan(米国)
    通算成績
    32戦12勝(うち地方8戦4勝、海外3戦1勝)
    総収得賞金
    9億4889万2700円(うち地方1億8530万円、海外2億1796万7700円)
    主な勝ち鞍
    03年安田記念(GⅠ)/02年フェブラリーS(GⅠ)/01年香港カップ(香港-GⅠ)/01年天皇賞(秋)(GⅠ)/01マイルチャンピオンシップ南部杯(GⅠ)/00マイルチャンピオンシップ(GⅠ)/99年全日本3歳優駿(GⅡ)
    JRA賞受賞歴
    01JRA賞最優秀4歳以上牡馬

    2019年7月号

    合田直弘 NAOHIRO GODA

    1965年生まれ、東京都出身。日本大学農獣医学部を中退後、競馬専門紙を経てフリーのライターとなる。現在は雑誌やweb媒体のほか、テレビの台本や出演を手掛けるなど幅広く活躍。また、海外競馬の取材も積極的に行っている。著書に「王者の蹄跡 タイキシャトルと歩んだ人々」「栄光のジョッキー列伝」「沁みる競馬」など。

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