story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 43
名門の名を継ぐ漆黒の豪傑
シンボリクリスエスの剛健さ
2019年6月号掲載
ダービー挑戦、そして3歳秋
には天皇賞(秋)に挑戦
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藤沢調教師とシンボリ牧場の関係は深い。シンボリルドルフが最初に野平祐二厩舎に入厩したとき、調教助手として乗っていたのが他ならぬ藤沢調教師だった。先述したシンボリインディも、藤沢厩舎の管理馬だ。
この世代、藤沢厩舎は素質馬揃いだった。マチカネアカツキ、ヤマノブリザード、ボールドブライアン、サスガ。その中でシンボリクリスエスの評価は、当初は高くはなかった。巨体を持て余し気味で、本当に良くなるのはまだ先だと見られていた。
しかし500万下の山吹賞を完勝し、青葉賞を制する頃には、すっかりダービーの有力候補となっていた。
この前年、ついにダービーが外国産馬にも開放され、クロフネが5着、ルゼルが14着となっていた。開放2年目でシンボリクリスエスには早くも「外国産馬のダービー初制覇」が期待されていた。そしてその響きは、いかにも藤沢厩舎に似合っていた。88年の開業以降、藤沢厩舎はここまで8頭のGI馬を出していたが、シンコウラブリイやタイキシャトルなど、うち6頭が外国産馬だったのだ。
結局、ダービーはタニノギムレットが優勝、シンボリクリスエスは2着に終わった。
しかし秋、シンボリクリスエスはさらに「藤沢厩舎らしい」偉業に挑む。神戸新聞杯で皐月賞馬ノーリーズンに圧勝後、急遽、菊花賞ではなく天皇賞(秋)挑戦を決めたのだ。
孝弘氏によると、神戸新聞杯の検量室で鞍を外しているときに藤沢調教師に提案され、良いんじゃないですか、と即答したのだという。
3歳馬が天皇賞(秋)に出走可能となったのは87年だが、これまで優勝した3歳馬は96年のバブルガムフェローだけで、それは言わずと知れた藤沢厩舎の勲章の一つだった。
そしてこの天皇賞(秋)を、シンボリクリスエスは完勝したのだった。
変則開催で中山競馬場で行われたこの一戦、人気のテイエムオーシャンは沈み、ナリタトップロードは届かなかった。シンボリクリスエスの岡部幸雄騎手はこのとき53歳11カ月、史上最年長のGI勝利記録を樹立した。
ジャパンCは出負けが響き、ファルブラヴ、サラファンとの大激戦の末に3着。着差はハナ、クビだった。
続く有馬記念は、ファインモーションとの3歳牡牝外国産馬対決となる。乱ペースに巻き込まれたファインモーションは5着に敗れ、シンボリクリスエスは直線で鋭く抜け出して完勝。これにより、この年の年度代表馬の座を確実にしたのだった。
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