story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 41
速さに秀でた最強の兄貴
ビワハヤヒデの安定感
2019年3月号掲載
天皇賞(秋)で、目を疑う
光景を見ることになる
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その最強馬が、秋はオールカマーから天皇賞(秋)、そして有馬記念という路線を取ると表明したことが、ある騒動を招いた。
その原因は、出走予定レースにジャパンCが含まれていなかったことにあった。
当時、一部の評論家やファンの間には「日本の競馬にいちばん重要なのは世界と戦うことであり、したがって日本最大のレースはジャパンCである」という価値観があった(私自身もその「一部」に含まれていたことを白状しなければならない)。
そのジャパンCに日本最強馬が出ないなどとは、敵前逃亡に他ならず、到底容認できない、というのである。
いまになってみればほとんど言いがかりに近い批判である。しかし、善悪は別にして、それが「時代」でもあった。
当時はジャパンCが世界と戦う、ほぼ唯一の機会だった。日本がこれから世界の競馬強国に伍していくためには、まずジャパンCで外国馬に勝たなければならなかった。それができなければ、いずれ避けられない外国産馬の流入によって、日本の競馬は蹂躙されてしまうだろう。そう考えられていたのである。
ビワハヤヒデは「そういう時代」に「イギリスから持ち込まれた」「日本最強馬」だった。ある意味で捻れた、日本競馬の混沌を象徴する存在でもあったのである。
批判はあったものの、ビワハヤヒデの陣営は、当初の予定どおり、オールカマーから天皇賞(秋)に歩を進めた。
オールカマーでウイニングチケットを一蹴して迎えた天皇賞(秋)で、我々は目を疑う光景を見ることになった。
4コーナーを回り、直線を向いても、ビワハヤヒデが伸びてこない。前が詰まっているわけではない。進路は開いているのに馬群の中にいる。そんなビワハヤヒデを見るのは初めてのことだった。
結果はネーハイシーザーから3馬身ほど離された5着。レース後、岡部騎手が下馬したことが、異常事態であることを示していた。
ビワハヤヒデは、このレース中に左前脚に屈腱炎を発症していた。全治は1年以上と診断され、やはりこのレースで同じように屈腱炎を発症したウイニングチケットに続いて、競走生活からの引退が決まった。
* * *
ビワハヤヒデも、弟の三冠馬ナリタブライアンも、そして2頭を産んだ母パシフィカスも、生産者の早田牧場も、その後は恵まれなかった。しかし、現在から当時を振り返ってみると、あの時代に彼らが存在して燦然と輝いたことは、絶対に必要だったのではないかとも思える。
日本の競馬は世界と向きあう必要に迫られていた。そのありようのひとつの形を、彼らが見せてくれたように思うのだ。
そして、彼らが示してくれたものとは違った形ではあったが、確かに新しい時代はやってきた。日本の競走馬たちが、それまでとは違った形で世界と向きあう時代は、すぐにやってきたのだ。
ビワハヤヒデ引退の年、サンデーサイレンスの産駒たちが、日本の競馬場にデビューしたのである。
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ビワハヤヒデ BIWA HAYAHIDE
1990年3月10日生 牡 芦毛
- 父
- Sharrood
- 母
- パシフィカス(父Northern Dancer)
- 馬主
- (有)ビワ
- 調教師
- 浜田光正(栗東)
- 生産牧場
- 早田牧場新冠支場
- 通算成績
- 16戦10勝
- 総収得賞金
- 8億9767万5000円
- 主な勝ち鞍
- 94宝塚記念(GI)/94天皇賞(春)(GI)/93菊花賞(GI)/94京都記念(GⅡ)/93神戸新聞杯(GⅡ)/92デイリー杯3歳S(GⅡ)/94オールカマー(GⅢ)
- JRA賞受賞歴
- 93JRA賞年度代表馬/最優秀4歳牡馬/94JRA賞最優秀5歳以上牡馬
2019年3月号