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出走馬の様子
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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    天皇賞(秋)で、目を疑う
    光景を見ることになる

    1994年天皇賞(春)●優勝:94年天皇賞(春)では“三強“の一角ナリタタイシン(緑帽)を寄せ付けずGⅠ2勝目を飾った。続く宝塚記念も勝利し、現役最強をアピールした©M.Yamada

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    その最強馬が、秋はオールカマーから天皇賞(秋)、そして有馬記念という路線を取ると表明したことが、ある騒動を招いた。
     その原因は、出走予定レースにジャパンCが含まれていなかったことにあった。

     当時、一部の評論家やファンの間には「日本の競馬にいちばん重要なのは世界と戦うことであり、したがって日本最大のレースはジャパンCである」という価値観があった(私自身もその「一部」に含まれていたことを白状しなければならない)。

     そのジャパンCに日本最強馬が出ないなどとは、敵前逃亡に他ならず、到底容認できない、というのである。

     いまになってみればほとんど言いがかりに近い批判である。しかし、善悪は別にして、それが「時代」でもあった。

     当時はジャパンCが世界と戦う、ほぼ唯一の機会だった。日本がこれから世界の競馬強国に伍していくためには、まずジャパンCで外国馬に勝たなければならなかった。それができなければ、いずれ避けられない外国産馬の流入によって、日本の競馬は蹂躙されてしまうだろう。そう考えられていたのである。

     ビワハヤヒデは「そういう時代」に「イギリスから持ち込まれた」「日本最強馬」だった。ある意味で捻れた、日本競馬の混沌を象徴する存在でもあったのである。

     批判はあったものの、ビワハヤヒデの陣営は、当初の予定どおり、オールカマーから天皇賞(秋)に歩を進めた。

     オールカマーでウイニングチケットを一蹴して迎えた天皇賞(秋)で、我々は目を疑う光景を見ることになった。

     4コーナーを回り、直線を向いても、ビワハヤヒデが伸びてこない。前が詰まっているわけではない。進路は開いているのに馬群の中にいる。そんなビワハヤヒデを見るのは初めてのことだった。

     結果はネーハイシーザーから3馬身ほど離された5着。レース後、岡部騎手が下馬したことが、異常事態であることを示していた。

     ビワハヤヒデは、このレース中に左前脚に屈腱炎を発症していた。全治は1年以上と診断され、やはりこのレースで同じように屈腱炎を発症したウイニングチケットに続いて、競走生活からの引退が決まった。

        *  *  *

     ビワハヤヒデも、弟の三冠馬ナリタブライアンも、そして2頭を産んだ母パシフィカスも、生産者の早田牧場も、その後は恵まれなかった。しかし、現在から当時を振り返ってみると、あの時代に彼らが存在して燦然と輝いたことは、絶対に必要だったのではないかとも思える。

     日本の競馬は世界と向きあう必要に迫られていた。そのありようのひとつの形を、彼らが見せてくれたように思うのだ。

     そして、彼らが示してくれたものとは違った形ではあったが、確かに新しい時代はやってきた。日本の競走馬たちが、それまでとは違った形で世界と向きあう時代は、すぐにやってきたのだ。

     ビワハヤヒデ引退の年、サンデーサイレンスの産駒たちが、日本の競馬場にデビューしたのである。

    94年オールカマー。ウイニングチケットを相手にせず完勝。ナリタブライアンとの兄弟対決を期待する声は高まった©M.Watabe

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    ©M.Yamada

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    ビワハヤヒデ BIWA HAYAHIDE

    1990年3月10日生 牡 芦毛

    Sharrood
    パシフィカス(父Northern Dancer)
    馬主
    (有)ビワ
    調教師
    浜田光正(栗東)
    生産牧場
    早田牧場新冠支場
    通算成績
    16戦10勝
    総収得賞金
    8億9767万5000円
    主な勝ち鞍
    94宝塚記念(GI)/94天皇賞(春)(GI)/93菊花賞(GI)/94京都記念(GⅡ)/93神戸新聞杯(GⅡ)/92デイリー杯3歳S(GⅡ)/94オールカマー(GⅢ)
    JRA賞受賞歴
    93JRA賞年度代表馬/最優秀4歳牡馬/94JRA賞最優秀5歳以上牡馬

    2019年3月号

    辻谷秋人 AKIHITO TSUJIYA

    1961年生まれ。群馬県出身。コンピュータ系出版社を経て、㈱中央競馬ピーアール・センターに入社。「優駿」の編集に携わった後、フリーとなる。著書に「馬はなぜ走るのか やさしいサラブレッド学」「そしてフジノオーは「世界」を飛んだ」など。この他、「サッカーがやってきた~ザスパ草津という実験」「犬と人はなぜ惹かれあうか」とジャンルは幅広い。

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