story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 41
速さに秀でた最強の兄貴
ビワハヤヒデの安定感
2019年3月号掲載
ハードなトレーニングによって
体と心に実が入っていった
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ここまでのビワハヤヒデには、どこか持って生まれた素質だけで走っているような印象があった。持込のおぼっちゃんというわけではないのだが、どこか軽く見えたのである。
同じように感じていたのかはわからないが、浜田調教師はビワハヤヒデをそのまま栗東に残し、調教を続ける決断を下す。有力馬は秋に向けて放牧に出すなどリフレッシュさせるのが一般的だ。そうでなくともビワハヤヒデは、デビュー以来ほぼひと月に1走のペースで8つのレースを走ってきたのである。ここはいったん休ませるのが、ふつうの発想である。しかし浜田調教師は休ませるどころか坂路の本数を増やし、運動の強度も高めるという選択をする。
さらには馬を落ち着かせるために着けていた耳覆いも外すことにした。周囲の音など気にしない逞しさを求めたのである。
これにはさすがにビワハヤヒデも坂路入りを嫌がったりと抵抗を示したというが、しかしこのハードなトレーニングによって、確実に馬の体と心には実が入っていったのだ。
秋初戦となった神戸新聞杯を持ったままで快勝すると、ビワハヤヒデは1番人気で菊花賞を迎えるが、ここで見せたパフォーマンスは圧巻だった。
道中は3番手を気持ちよさそうに走り、直線入口で先頭に立つ。そして岡部幸雄騎手が気合いを入れた一瞬で勝負は決まった。瞬く間に後続を置き去りにしたビワハヤヒデは、必死に追いかけるステージチャンプとウイニングチケットを5馬身後方に置いて、悠々とゴール板を駆け抜けたのだ。
初めての古馬との対戦となった有馬記念で、ビワハヤヒデが1番人気に推されたのは当然ともいえた。このレースでは1年ぶりの出走になったトウカイテイオーの「奇跡の復活劇」の前に苦杯をなめるのだが、この年の最優秀4歳牡馬と年度代表馬に選出される。
春シーズンに三強と呼ばれた3頭の中で、ビワハヤヒデが頭ひとつふたつ抜け出した感があったが、年が明けるとそれはよりはっきりとした形になって現れる。
5歳シーズンの始動となった京都記念では59㌔を背負いながら、ほとんど追ったところなく7馬身差の圧勝劇を演じる。このレースは94年の古馬戦線がビワハヤヒデを中心に回る、いや、ビワハヤヒデ1頭のものになるのではと思わせるものだった。そして事実、そうなるのである。
京都競馬場の改修工事のため、この年の天皇賞(春)は阪神競馬場で行われた。小回りの阪神で3200㍍のレースをすることの難しさを岡部は戦前指摘していたが、その影響もあってかビワハヤヒデは道中ややチグハグなところを見せる。それでも、追いすがるナリタタイシンを1馬身1/4抑えて、まったく危なげない勝利を挙げた。
続く宝塚記念に至っては、ビワハヤヒデの格の違いを見せつけるだけのレースになった。2着のアイルトンシンボリ以下を子ども扱いしての完勝であった。
これで勝ったGIレースは3つ。その3戦で2着馬につけた着差の合計は11馬身以上。天皇賞(春)は変則開催で勝ち時計の比較に意味はないが、それ以外の2戦はレコードでの勝利である。また、叩きだしたレコード4回の距離は、1400、1600、2200、3000。まったくオールラウンドとはこのことで、非の打ちどころのない成績だ。