story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 40
比類なき末脚の持ち主。
ハープスターの挑戦
2019年1月号掲載
刻一刻と迫る札幌記念に向け
懸命な処置を行い続けた
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馬運車から降りてきたハープスターを見た時、日下は声を失った。
「蹄が痛いのか、帰ってきてからずっと脚を引きずっていました。毎朝、歩様を確認しても状態は変わりませんでした」
それでも札幌記念までの時間は刻一刻と迫ってくる。厩舎スタッフだけでなく、獣医師、装蹄師が集まり、装蹄に工夫をこらしながら治療をし、痛みが緩和されるような処置を行い続けた。
懸命の治療から数週間後、少しだけ光明が見え始める。痛みを緩和させながら運動をさせていると、ハープスターの歩様が次第に良くなりはじめた。その時にもレース出走までの道筋となっていたのが、ハープスターと同様に、オークスから札幌記念、そして凱旋門賞を目指していたブエナビスタだった。
「札幌競馬場へはレースの4週間前に送り出しましたが、ブエナビスタの時と違っていたのは、不安要素が取り払えなかったことでした。それでも、松田厩舎に入厩してから1週間もすると、ピタッと歩様が良くなっていたことに驚きました。ハープスターは松田先生の下で管理されていなければ、札幌記念を使えなかったでしょうし、あれだけの競走成績も残せてはいなかったでしょう」
その年の札幌記念は、北の地でGⅠが行われるかのようなドリームレースとなった。その年の宝塚記念を制してGⅠ5勝目をあげたゴールドシップが出走してきたかと思えば、前年の皐月賞馬ロゴタイプ、ヴィクトリアマイルの勝ち馬であるホエールキャプチャも名を連ねていた。
その日の札幌競馬場にはGⅠ馬たちによる夢の競演をこの目に収めるべく、新スタンドがオープンしてから最多となる4万6097名の競馬ファンが詰めかけた。朝早くからパドックやゴール前にできた人垣は、メインレースが近づくにつれてその厚さを増し、いつしか移動すらままならなくなっていた。
ゲートが開くと、ハナを切ったのは前年の覇者であるトウケイヘイロー。ハープスターは定位置の後方からレースを進めていくが、その更に後ろで仕掛けどころをうかがっていたのが、ゴールドシップだった。
3コーナーの手前からハープスターがポジションを上げていくと、それをマークするかのように、ゴールドシップも動き出す。
「ゴールドシップが上がってくるのも分かりましたし、直線でマッチレースとなった時は先に内側へと切れ込んだ分、リードを保ったままゴールできたと思います」(日下)
2頭の斤量差は5㌔あったとはいえ、3歳牝馬が札幌記念を制したのは、サンエイサンキュー以来22年ぶり2頭目の快挙。しかも、GⅠ馬3頭をはじめとする古馬を封じ込んだ、そのレースぶりもまた、日本代表として凱旋門賞へと乗り込むには、これ以上無いものであった。
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