競馬場レースイメージ
競馬場イメージ
出走馬の様子
馬の横顔イメージ

story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    父と同じく「白い稲妻」あるいは
    「稲妻2世」と呼ばれるようになる

    昭和63年の天皇賞(春)。タマモクロス(青帽)は4コーナーで好位にとりつくと、直線であっという間に抜け出した©JRA

    すべての写真を見る(7枚)

     鳴尾記念の豪快極まりない追い込みを見て、ある1頭の馬を思い浮かべたファンは少なくなかった。同じ芦毛で、同じような追い込みを見せたその馬は、名をシービークロスという。言うまでもなくタマモクロスの父であり、そのレースぶりから「白い稲妻」の異名で熱烈なファンを得ていた馬だ。現役時代の父や母とイメージが重なることはままあるが、ここまで似ているのもめずらしい。

     明けて4歳になったタマモクロスが、この年の初戦に選んだのは、京都の金杯(GⅢ)だった。

     鳴尾記念の勝ちっぷりから当然のように1番人気に推されたタマモクロスは、ここでも後方から進み、最後尾で直線に向いた。密集する馬群が壁になり、ここを抜けられるのかと見るものが不安になった瞬間だった。前を行く馬たちを縫うように交わし去ると、ゴール前で先行する3頭をきっちりと差し切った。父譲りのレースぶりであり、末脚だったといえる。

     このころからタマモクロスは父と同じく「白い稲妻」あるいは「稲妻2世」と呼ばれるようになるが、しかしこれ以降は父のイメージにとらわれない、より柔軟なレースをするようになる。人間による安直なラベリングをタマモクロスが嫌ったわけではないのだろうが、父とは違った凄みのあるレースを展開していくことになるのである。

     春の目標を天皇賞に置いたタマモクロスは、前哨戦の阪神大賞典(GⅡ)に出走する。3番手を進み、直線で抜け出しを図ったものの、二度ほど行く手を遮られる場面があって、いつものように突き抜けることができない。それでもゴール直前で逃げるダイナカーペンターと並んで、1着同着でゴールに到達した。

     この阪神大賞典は、3歳秋の本格化以降、もっとも苦戦したレースとなったが、ここでタマモクロスが見せた勝負強さは、むしろ天皇賞への期待を高めるものだった。

     そして昭和63年の4月29日、タマモクロスは春の天皇賞(GⅠ)を1番人気馬として迎える。1年前には、ようやくダートの未勝利戦を勝ち上がったばかりだった馬が、天皇賞で本命視される。およそ考えられないことが起きていた。

     タマモクロスに続く人気は、菊花賞と有馬記念に勝っているメジロデュレン、同い年で皐月賞と菊花賞をともに2着したゴールドシチー、そしてやはり同い年のダービー馬メリーナイスだった。クラシック戦線では、同じ舞台に乗ることすらできなかった馬たちを付き随えてのレースになった。

     超がつくスローになった阪神大賞典とは異なる淀みない流れの中、タマモクロスは中団のやや後ろに位置を取る。向正面から3コーナーにかけて徐々に進出し、4コーナーも内の最短距離を綺麗に回って、4、5番手で直線を向いた。
    「4コーナーで5馬身以内の差であれば勝てると思っていた」

     と小原調教師が語ったとおりの展開だった。この時点で勝負は決まったように見えたのだが、実際に起きたのは予想の上を行くことだった。

     伸びているのはタマモクロスだけだった。ランニングフリーが必死に追いすがるが、その差は一完歩ごとに残酷なまでに非情に開いていく。

     1頭だけ、次元が違った。着差こそ3馬身だったが、そんな数字にもまったく意味がないと思えるほどの圧勝だった。

    昭和63年宝塚記念のファン投票で1位に推されたタマモクロス。最後の直線で、先行する同2位ニッポーテイオーをあっさり抜き去る©JRA

    すべての写真を見る(7枚)

    02
    03