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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    あの挑戦に先立つこと6年、
    「世界の扉が開こうとした一瞬」

    海外初挑戦となった06年ドバイシーマクラシック。ここでは、自身のキャリア初となる逃げの手を披露し、直線では影をも踏ませぬ圧勝劇を演じた©Photostud

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     06年、明け5歳。引退までの3戦は、またどれもが印象深いレースであった。まずは3月、ドバイシーマクラシック(UAE)に挑戦し、圧勝した。

     この勝利までは、有馬記念の結果を「ディープが本調子になかった」「展開に恵まれた」とフロック視する声があった。世界の強豪を相手に逃げたハーツは、持ったままで後続との差を広げ、4馬身強の差を付けて逃げきってみせた。ノーステッキでの圧勝が、有馬記念制覇の価値をより高めた。ドバイにおける日本馬初のG1制覇でもあった。

     続いては7月、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英国)に挑戦した。

     6頭立てと少頭数になったのは、三強の力が抜けていたためだ。前年の凱旋門賞を勝ったハリケーンラン、インターナショナルSやドバイワールドCの覇者エレクトロキューショニスト、さらにハーツクライの3頭が、事前の評判どおり、壮絶な競り合いを演じた。4コーナーで外に持ち出したハーツは、手応えでは最も優っており、残り300㍍の地点でははっきりと先頭に立ったのだ。

     ―――世界最高峰の戦いを遂に日本馬が勝つ!

     誰もが心を躍らせ、興奮は最高潮に達した。しかし、インが開くのを待ち、タフに伸び続けたハリケーンランが最後の最後に抜け出した。半馬身差でエレクトロキューショニストが2着、さらに半馬身差でハーツは3着に終わった。オルフェーヴルの凱旋門賞挑戦に先立つこと6年、まさに「世界の扉が開こうとした一瞬」といえた。ご記憶の方も多いだろう、翌日のレーシングポスト紙には“The race we'll never forget”(決して忘れられないレース)の大きな見出しが躍った。
    「あのディープを含めて、それまで後ろから差されたことがないわけじゃないですか。出走馬のレベルが高かったのは間違いないんですが、もしですよ、もしも有馬記念の時くらいのデキにあったならば、あのまま押し切ってたと思うんですね」

     その言葉に続いて橋口が教えたのだ。直前の輸送で、実はハーツが消耗していたと。帯同馬がいないことが影響したのか、機内で水すら飲まなかったという。「最初見た時、競馬に使えるかな、と正直思いました」の言葉が出るほど馬体はガレていた。随行したスタッフによる付きっきりのケアと、元々調整しやすいタイプであったからこそ、臨戦態勢を整えることができたのだった。
    「レースのあと下見所に戻り、そこで脱鞍するんですけど、皆さん拍手で迎えてくれたんです。日本の馬、よく頑張ったと。とても悔しかったのは確かです。でも、あの暖かい拍手に気持ちが安らぎました。今考えると、夢みたいですね」

     柔らかく微笑みながら橋口は言ったものだ。
     帰国後のハーツクライは、ハリケーンラン、エレクトロキューショニストの参戦を待ちながら、ジャパンCに駒を進めた。両馬の来日こそなかったものの、別にもう1頭、雌雄を決すべき相手がいた。凱旋門賞への挑戦を終え、シーズン末での引退の決まっていたディープインパクトである。

     ―――長い府中の直線で、“キングジョージ”を超える究極の競り合いが見られるのではないか。

     誰もがそんなふうにジャパンCを夢想した。

     だが、喉の異変がハーツを襲っていた。最初は英国滞在中、馬場でダクを踏んでいた時に、着地する蹄の音に重なって「ヒュッ、ヒュッ」と小さな音が橋口の耳に届いたという。その音はジャパンCへの調整中、大きなノイズに変化した。内視鏡検査の結果、ぜん鳴症が発覚した。

     ―――事前に公表しないわけにはいかない。

     報道陣を呼んで、橋口は状況を説明した。ファンの期待がよくわかっていたからこその対応と言えた。だが、追い切りで動いたこともあって、ファンはハーツを2番人気に推した。結果は10着、この敗戦によって現役引退が決まった。
     果たしてハーツクライは、その持てる力を、どこまで馬場で表現できたのだろうか。

     そこは誰にもわからない。ただ、言えることが一つある。各国の名馬とこれほど激闘を重ねた馬はいない。この先も出ないかもしれない。
    (文中敬称略)

    ハーツクライ(右黄帽)は直線で一旦先頭に立つも、タフなコースが影響してか途中で末脚が鈍り、勝ち馬から1馬身差の3着に敗れる©H.Watanabe

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    無敗で日本の三冠を制したディープインパクトを唯一破った馬として、英国でも大きな注目を浴びながら挑んだ06年〝キングジョージ〟©T.Murata

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    ©Photostud

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    ハーツクライ HEART’S CRY

    2001年4月15日生 牡 鹿毛

    サンデーサイレンス
    アイリッシュダンス(父トニービン)
    馬主
    ㈲社台レースホース
    調教師
    橋口弘次郎(栗東)
    生産牧場
    社台ファーム(北海道・千歳市)
    通算成績
    19戦5勝(うち海外2戦1勝)
    総収得賞金
    9億2536万900円(うち海外3億6962万9900円)
    主な勝ち鞍
    06ドバイシーマクラシック(UAE-G1)/05有馬記念(GⅠ)/04京都新聞杯(GⅡ)
    JRA賞受賞歴
    05最優秀4歳以上牡馬

    2018年7月号

    河村 清明 KIYOAKI KAWAMURA

    1962年生まれ、山口県出身。北海道大学文学部国文科専攻を卒業後、㈱リクルートを経て、ライターとして活動を始めた1996年には「優駿エッセイ賞」を受賞した。著書に「馬産地ビジネス」、「馬産地放浪記」、「ウオッカの背中」などのほか、競馬漫画「ウイニング・チケット」の原作・原案協力がある。

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