story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 33
国難に喘ぐ日本に、勇気と希望を。
ヴィクトワールピサの奇跡
2018年5月号掲載
神に代わって奇跡を具現化するため、
全身全霊を傾けたドバイワールドC
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いまも日本人の脳裏に生々しい記憶として留まる東日本大震災については、改めて記すまでもあるまい。多くの犠牲者が出た宮城には、社台ファームの本州の調教拠点である山元トレーニングセンターがあり、ヴィクトワールピサも有馬記念から1カ月ほどをこの地で過ごしていたし、帯同スタッフの中には宮城に家族を残してきた者もいた。
現地に入った日本人は、厩舎関係者のみならず報道陣まで、ほぼ全員が、日の丸にHOPEの4文字が添えられたエンブレムのついたポロシャツを着用して、日々の作業に勤しんだ。各国から集った厩舎関係者や報道陣は、日本人を見るとお見舞いの言葉を投げかけ、募金活動に協力した。
競馬は勝負であり、どの陣営も勝つためにドバイに来ていた。だが、もしも自分たちが勝てないのなら、今年は日本の馬に優勝して欲しいと、多くの関係者がメディアに語った。
こんな時節に競馬かという声も、日本では聞こえた。だが、ゴール後に、泣き崩れたミルコ・デムーロ騎手が日の丸を右手にかざしてスタンド前に戻って来た光景は、確かに日本人の力となった。
自らの所有馬が敗れたにもかかわらず、モハメド殿下はウイナーズサークルで歓喜の輪に加わり、ヴィクトワールピサの関係者をハグした。
優勝したヴィクトワールピサから½馬身差の2着に入ったのはトランセンドで、誰もが思い描いていた日本のためのドバイワールドCとなった。
神に代わって奇跡を具現化するために、ヴィクトワールピサは全身全霊を傾けたのであろう。競走馬としてのヴィクトワールピサは、ここで燃え尽き、4歳シーズンをもって現役を退いた。
種牡馬となったヴィクトワールピサは初年度産駒から、桜花賞馬ジュエラーを送り出した。同世代には秋華賞で2着となったパールコードという、父が持っていた2000㍍適性を率直に継承した産駒もいた。2年目の産駒からは、ファルコンS(芝1400㍍)を制したコウソクストレートや、TCK女王盃(ダート1800㍍)を制したミッシングリングが登場。そして、14年のセレクトセール当歳部門でカタール・レーシングの代理人に購買されたヴィクトワールピサ産駒のウォーリングステイツは、デビューした独国でG3バーヴァリアンクラシック(芝2000㍍)に優勝している。
実に多彩な産駒を出しているのが、種牡馬ヴィクトワールピサだ。現在は路面がダートに戻ったドバイワールドCで勝負になるような仔を出しても、何ら不思議ではないと見ている。
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ヴィクトワールピサ VICTOIRE PISA
2007年3月31日生 牡 黒鹿毛
- 父
- ネオユニヴァース
- 母
- ホワイトウォーターアフェア(父Machiavellian)
- 馬主
- 市川義美氏
- 調教師
- 角居勝彦(栗東)
- 生産牧場
- 社台ファーム(北海道・千歳市)
- 通算成績
- 15戦8勝(うち海外3戦1勝)
- 総収得賞金
- 10億8504万500円(うち海外4億8908万6500円)
- 主な勝ち鞍
- 11ドバイワールドC(UAE-GⅠ)/10有馬記念(GⅠ)/10皐月賞(GⅠ)/11中山記念(GⅡ)/10弥生賞(GⅡ)/09ラジオNIKKEI杯2歳S(JpnⅢ)
- JRA賞受賞歴
- 10最優秀3歳牡馬/11最優秀4歳以上牡馬
2018年5月号