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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

未来に語り継ぎたい名馬物語 32

異国の地で星になった「砂の女王」。
ホクトベガという生き方

谷川 直子 NAOKO TANIGAWA

2018年4月号掲載

当時の牝馬三冠最終戦のエリザベス女王杯を勝利。そして、5歳時からは“砂の舞台”に目を向け、各地の地方競馬場で圧倒的な力を示したホクトベガ。しかしながら引退レースのドバイワールドCで故障を発生し、無念の死を遂げた同馬の生き方に迫る。

    ©H.Watanabe

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    「ホクトベガという生き方」
    第一章 牝馬クラシック本流を目指す

    「ホクトベガという生き方」があった。誰にも真似のできないとびきりユニークでドラマティックな生き方だ。ヒロインは1頭の牝馬ホクトベガ。彼女に会うために25年前、1993年の1月に時計の針を戻してみたい。

     その日は93年の中央競馬開催初日で、3レースの新馬戦に間に合わず記者席に入るなり「ホクトベガどうでした?」と聞いた私に「あれは強い。ダートの1200で9馬身ちぎったからな、タイムも優秀」とベテラン競馬記者の一人が教えてくれた。手綱を取ったのは加藤和宏騎手。体重500㌔の大女は、1分12秒5という好タイムを馬なりで叩き出しデビュー戦を飾ったのだった。

     牝馬クラシックという本流を目指す。それが「ホクトベガという生き方」の第一章だ。カトレア賞で2勝目を挙げ、続くフラワーCを楽に勝ち上がり初重賞制覇を遂げるとホクトベガには「東のベガ」というニックネームがついた。「西のベガ」はチューリップ賞を勝ったトニービン産駒のベガ。こと座の一等星ベガという星の名前を共につけられたのは単なる偶然だが、これが不思議な縁となった。桜花賞は西のベガが1番人気に応えて優勝し、ホクトベガは5着。体重はマイナス8㌔で、輸送が苦手らしいと判明する。

     オークスもベガが勝ち二冠を達成した。距離延長は望むところと陣営は期待を寄せたが、ホクトベガは6着に敗れた。GⅠでは決め手に欠ける。東のベガはイマイチだな、との声が聞こえた。

     夏を越し、ホクトベガは当時の牝馬三冠レースの最終戦エリザベス女王杯を目指した。ぶっつけとなったベガは2番人気で、上り馬スターバレリーナが1番人気に推され、クイーンS2着、ローズS3着のホクトベガは9番人気。ローズSの2週間前から栗東入りしていたが馬体はさらに減っていた。ケイウーマンがハイペースを刻み、最内1番枠から出たホクトベガはいつもと違って中団後方につける。左前にベガ。4コーナーを回ってインに進んだホクトベガは前を行くデンコウセッカを内からかわす。馬群を割ってノースフライトが先頭に躍り出た。同時にホクトベガが力強くインから抜け出す。並ぶ間もなくホクトベガがグイグイ伸びた。ベガが2頭を追ってきてはいたが、ホクトベガはノースフライトに1馬身半差をつけて勝った。

     中野隆良調教師も森滋オーナーも、いやまいったなと笑い、加藤騎手は「後方待機、インをつくという作戦通り、ぴったりはまった」としたり顔。関西テレビ実況アナウンサーの「ベガはベガでもホクトベガです!」という名文句は今も語り継がれている。単勝3040円、馬連2万5650円。2分24秒9はレースレコードだった。

     ホクトベガの生まれ故郷は、二冠馬マックスビューティの生産者としてファンに知られた酒井牧場だ。父はニジンスキー産駒のナグルスキー。母はフィリップオブスペイン産駒のタケノファルコン。体が柔らかく中型の母とは違い、頭が大きく骨太の仔馬を酒井牧場の酒井公平氏と中野調教師は勧めなかったが、森オーナーは一目で気に入ったという。育成調教が始まると、ホクトベガはほかの馬についていけず、期待するオーナーをがっかりさせたらしい。それも2歳になり入厩するころにはいい動きを見せるようになる。中野調教師は大きな馬だからとじっくり仕上げていった。田端正照調教助手から「これは走る」と聞かされた記者も多い。それでも、じっさい周囲の期待に応えGⅠを獲る馬は数少ない。とりあえずホクトベガは牝馬三冠の一つを手に入れた。脚質転換にも成功した。芝の2400であのレースができるのなら、未来は明るい。私はそう思っていた。

    出走回数は42を数え、中央、地方、海外と14の競馬場を渡り歩いたホクトベガ。牡馬を相手にすることも多いなか、タフに走った©T.Shirata

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