story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 31
類稀なる才能で世代の頂点に。
キズナのさまざまな“絆”
2018年3月号掲載
武騎手を背に栄光のゴールへ
仏では世界レベルの力を証明する
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佐藤哲三騎手と前田幸治さんの“絆”は、古くからのものだった。佐藤哲三騎手の初重賞勝ちはデビュー4年目、ノースヒルズマネジメント所有馬レットイットビーでの92年朝日チャレンジCだったが、これは前田幸治オーナーにとっても、馬主になって10年目での初の平地重賞制覇だった。
大山ヒルズもよく訪れていた佐藤哲三騎手は、デビュー前からキズナに跨っていた。佐々木晶三調教師も加えたこのチームは、アーネストリーの11年宝塚記念など多くの勝利を分かち合ってきた。
そんな「チーム・キズナ」の船出は順風満帆だった。新馬戦、続く黄菊賞と楽勝。しかし、そこで思わぬ事態が起こる。11月24日、佐藤哲三騎手がひどい落馬事故で、重傷を負ってしまったのだ。
そこで代わりに主戦として起用されたのが、武豊騎手だった。
この時期、武豊騎手はその騎手人生で最大といえる不振に陥っていた。勝利数は09年の140勝から10年69勝、11年64勝、そしてこの12年は56勝。怪我や海外長期滞在があった年を含めても、デビュー以来最も少ないところまで落ち込んだ。2年目から23年間続いていたJRAのGⅠ勝ちも、この前年の11年、ついに途切れていた。
そんな武豊騎手の起用は、前田幸治さんたっての希望だった。彼は日本競馬の至宝。それほどのジョッキーが不振に喘いでいる。なんとかしたい。そう公言していた。
乗り替わり初戦、年末のラジオNIKKEI杯2歳Sは、掛かり気味に先行したことが響き3着。
年が明けて弥生賞は、スローペースを後方から。最後に猛追するも、展開に泣く形で5着。
不完全燃焼の競馬が続いたキズナだが、毎日杯でついにその能力が完全に開花する。後方から豪快に差し切り、さらに3馬身突き放す勝利。賞金の加算にも成功したが、陣営は中2週の皐月賞をパスすることを決断した。最大目標のダービーへ、疲れを残さずに臨むことを最優先としたのだ。
ダービー前の一走として選んだ京都新聞杯を、出遅れながらやはり素晴らしい末脚で差し切ったキズナは、ついに大一番の日を迎える。
皐月賞の1、2着馬ロゴタイプ、エピファネイアを上回る単勝2・9倍の1番人気に支持されたキズナを、武豊騎手はスタートしてすぐ、後方に下げた。道中はゆったりと後方3番手。直線を向いて外に出されると、徐々に進出を始める。
キズナの末脚は、まるで走れば走るほど加速していくようで、前の馬たちを次々と抜き去っていく。最後にエピファネイアを捉え、半馬身差をつけたところが栄光のゴールだった。
14万人近くの「ユタカ」コールで迎えられた武豊騎手は、スタンド前での勝利騎手インタビューで「僕は帰ってきました!」と大観衆に報告した。
自身は生産者として、キズナの馬主となっている実弟の前田晋二さんとともに表彰台へ上がった前田幸治さんは、その後、大勢の報道陣に囲まれながら、勝利の喜びや、秋には凱旋門賞に挑戦する計画があることを話した。そして最後に、「この勝利を(つらいリハビリの日々を送っている)佐藤哲三騎手に捧げます」と付け加えた。
この日、キズナをめぐるさまざまな“絆”の、その強さと力を、ファンや関係者を含めた競馬に携わる者すべてが目撃し、体感したのだった。
この年の秋、キズナは予定通り凱旋門賞を目指して渡仏。前哨戦のニエル賞では、キズナらしい外からの差し切り勝ちを収めた。同世代の英ダービー馬ルーラーオブザワールドに競り勝った走りは、まさに世界レベルの力の証明といえた。
そして迎えた本番。この年の凱旋門賞のハイライトを挙げるなら、最終的に5馬身差で圧勝することになるトレヴが、常識はずれの早仕掛けで上がっていったフォルスストレートの攻防は、確実にその一つだ。そのトレヴを追うように外からキズナが上昇していくシーンは、今見ても鳥肌が立つ。剥き出しの「挑戦」が、そこにはあった。
最後は伸びが止まり、オルフェーヴルに抜き返され、同世代の仏ダービー馬アンテロに食い下がるも、競り負けて4着。しかし誰もが翌年の再挑戦への期待を膨らませた、そんな敗戦だった。
だが、キズナに次の凱旋門賞は来なかった。
明けて14年。古馬になったキズナは、大阪杯を大外一気で貫録の勝利。2つ目のタイトルを目指して天皇賞(春)に出走した。しかし後方から懸命に差すも、フェノーメノの4着。確かに前の馬が止まらない馬場状態ではあったが、それにしても、いつもの爆発力を欠いた走りに終わった。
レースの2日後、キズナは左第3手根骨を骨折していたことが判明した。