競馬場レースイメージ
競馬場イメージ
出走馬の様子
馬の横顔イメージ

story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    “スピードの持続力”を武器に
    距離の壁を乗り越える

    ミホノブルボンを”鍛えて強くした”戸山為夫調教師
    日本ダービーの口取り。向かって馬の左隣がミホノブルボンを”鍛えて強くした”戸山為夫調教師©H.Imai/JRA

    すべての写真を見る(6枚)

     菊花賞の週、栗東トレセンでは騎手の松永幹夫が報道陣に囲まれていた。中日スポーツ賞4歳S、神戸新聞杯を逃げて連勝。しかし好位に控える競馬を試みた京都新聞杯では9着に沈んだキョウエイボーガンに騎乗する彼は、菊花賞の重要なキーパーソンの1人だった。
    「今度は逃げるつもりですよ」

     作戦を問われた彼は言葉を濁したりはせず、そう宣言した。そして京都新聞杯では発揮できなかった馬の力を引き出すために逃げたいのだと続けた。

     松永の宣言を伝え聞いても戸山は動じなかった。それどころか彼はビックリするようなレースプランを明かした。1ハロン12秒2のラップを15回刻めば走破タイムは3分3秒0(当時のレコードは3分5秒4)。少なくとも「12秒2×15回に近いレース」ができればついてこられる馬はいないはずだというのである。
    「1日5本」を消化して周囲を驚かせた1週前の追い切り日に続き、最終追い切りのデモンストレーションも派手なものになった。マークした時計(29秒4)は坂路コースのレコード。常識的な考えからすると、坂路で調教レコードを記録するような馬は明らかに3000㍍向きとはいえない。しかし戸山は鍛えに鍛え上げてきた“スピードの持続力”を武器に距離の壁を乗り越える構えでいた。

     ところが小島の口からは、だいぶニュアンスの異なる言葉が聞かれた。キョウエイボーガンの動きには惑わされないようにしたい。道中のどこかで13秒台にラップを落とさなければ、馬はバテてしまうと自分は思う。彼は共同会見の席で、そんな内心を訥々と語った。理想論とも響く戸山の考えと常識の狭間で、小島の心は揺れ動いていた。

     ゲートが開くとやはり、キョウエイボーガンが飛び出した。小島は行きたがる馬をガッチリと抑えて離れた2番手を進む。中盤にペースが緩んでも形勢は変わらなかった。彼は結局、騎手として培ってきた自分の感覚と常識に沿ったレース運びを選択したわけだ。もちろんそれを責めるものではない。

     結果はライスシャワーの軍門に下って2着。ペースが極端に緩んだ中盤、馬を抑えずに行かせていたら途方もない三冠制覇が見られたのか、あるいは大敗していたのかは誰にも分からない。ただ、戸山にとって“不完全燃焼”のレースになってしまったことは確かだった。

     しかしトレーナーは愛弟子を責めなかった。仕方ない。今日は相手が強かった。小島はよく乗ってくれた。報道陣の輪の中で彼は笑顔さえ浮かべながらそんな趣旨のコメントを繰り返した。

     本心を話していない──。そう感じた私はやはり番記者を務めていたスポニチの梅崎晴光さんと2人で戸山を追いかけ、しつこく話を聞いた。そこへもう1人、大阪サンスポの橋本忠さんが加わった。橋本さんはJRAの担当者にレースのラップ(1000㍍毎の内訳は59秒7-65秒0-60秒3)を確認し、感想を聞くために厩舎へ足を運んできたのだ。
     だが、具体的な数字をぶつけられても戸山は同様のコメントを繰り返した。彼は日を置いてから小島の騎乗への“不満”を明かしている。しかしあの日、レースの当日だけは「小島を責めない」と心に決めていたのだろう。

     私たちは諦め、撤収することにした。そのとき誰かが「先生ならきっとまた、チャンスが巡ってきますよ」と慰めの言葉をかけた。すると戸山が思いがけない反応を示した。
    「いや、こんなチャンスはもう二度と巡ってこない」

     強い口調で彼はそう言い、もう一度、同じ言葉を繰り返した。そのとき、戸山の目には確かに光るものがあった。調教師人生の集大成といえる馬で無敗の三冠制覇に挑み、逃した。それがどんなに重たいことなのか、私もやっと理解した。

     翌春、癌の転移が明らかになった戸山はダービー前日に容体が急変し、永い眠りについた。一方のミホノブルボンはジャパンCを目指していた調教中に腰を痛め、戦列復帰は果たせないまま種牡馬入り。今年2月に天寿を全うした。

     しかし戸山とミホノブルボンが立ち向かった“スプリンターのスピードを持続させることで距離の壁を乗り越える”というトライは永遠の輝きを放つ。いつまでも、どこまでも速く走れる馬に憬れる。それはどんな時代にも共通する競馬ファンの心情なのだ。 
    (文中一部敬称略)

    ミホノブルボン1992日本ダービー
    1992日本ダービー©H.Imai/JRA

    すべての写真を見る(6枚)

    ミホノブルボン MIHONO BOURBON

    1989年4月25日生 牡 栗毛

    マグニテュード
    カツミエコー(父シャレー)
    馬主
    ㈲ミホノインターナショナル
    調教師
    戸山為夫(栗東)→鶴留明雄(栗東)→松元茂樹(栗東)
    生産牧場
    原口圭二氏
    通算成績
    8戦7勝
    総収得賞金
    5億2596万9800円
    主な勝ち鞍
    92日本ダービー(GⅠ)/92皐月賞(GⅠ)/91朝日杯3歳S(GⅠ)/92京都新聞杯(GⅡ)/92スプリングS(GⅡ)
    JRA賞受賞歴
    91最優秀2歳牡馬/92年度代表馬、最優秀3歳牡馬

    2017年12月号

    石田 敏徳 TOSHINORI ISHIDA

    1966年生まれ、東京都出身。早稲田大学第二文学部文芸学科を卒業後、サンケイスポーツの中央競馬担当記者を経て、1993年よりフリーライターとしてして活動。2014年、「黄金の旅路 人智を超えた馬・ステイゴールドの物語」でJRA賞馬事文化賞を受賞。

    03
    03