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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    死闘となった77年有馬記念は
    勝負の醍醐味が詰め込まれている

    テンポイントとの”マッチレース”となった77年有馬記念(2着)は日本競馬史に残る名勝負だった【H.Imai/JRA】

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     クラシックは一冠のみの制覇で終わったが、有馬記念で最強の称号を得たトウショウボーイは更なる高みを目指す。ファンも完成期を迎えたトウショウボーイが、これからどんな戦いを演じてくれるのか、大いなる期待を込めて見守ることにした。しかし、しばらくの間、我慢を強いられる。連戦の疲労から体調を崩し、回復まで長い時間を費やした。一度、天皇賞(春)に向け関西へ赴いたが、脚部不安で回避を余儀なくされた。

     その天皇賞(春)。楯の栄冠を掴んだのはテンポイントだった。順調に年を越し、重賞を連勝した勢いで、はじめての戴冠。ようやく無冠の帝王という、あまり嬉しくない呼び名を返上することができた。

     主役の1頭は復活を果たした。あとはトウショウボーイの復帰を待つだけ。

     春シーズンの最後、両雄が覇を競う舞台に相応しいのは宝塚記念。ファンが熱望するステージに2頭は登場した。

     有馬記念から半年あまり。トウショウボーイの状態はまだ完調とは言えなかった。調教での動きも精彩を欠き、ようやく間に合ったというのが関係者の一致した思いだった。今回はテンポイント有利。人気の面ではライバルが勝った。

     6頭立。寂しい頭数だが、TTの参戦。さらに菊花賞で2頭を破り、前走の天皇賞(春)ではテンポイントに0秒3差まで迫ったグリーングラスの名前もあった。菊以来のTTG揃い踏み。観戦するファンは馬券を離れ、レースそのものを存分に楽しもうと、舞台の幕が開くのを楽しみに待った。

     鞍上は名人と呼ばれていた武邦彦。有馬記念から手綱を取ることになったが、すでにトウショウボーイの桁外れた実力を認めていた。小細工せずに堂々とゴールを目指す。武は躊躇いなく愛馬に先頭に立つように命じた。

     レースはトウショウボーイがほかの5頭を引き連れ、坦々と進行した。最後の直線でテンポイントとグリーングラスが差を詰めようとするが、道中で余力を蓄えていたトウショウボーイのスピードは落ちることなく、そのままゴールへ。最強馬の貫録を示した。

     これでライバルとの対戦成績は5戦4勝。後塵を拝したのは菊花賞の1回のみ。
    「テンポイントは永久にトウショウボーイには勝てないだろう」。こんな言葉が聞かれるようになった。

     たしかに勝ち負けの“記録”だけを比べれば、トウショウボーイが圧倒していた。それでも、TT時代と呼ばれた。

     少し前、ハイセイコー全盛の頃。

     彼の前に立ちはだかったタケホープは、最後まで敵役としての存在でしかなかった。だから、ハイセイコーの時代。

     それから数年後、競馬が完全に大衆化し、健全な遊びとして定着したとき、1頭の馬だけを応援するのではなく、それに挑む者のドラマにも目を向け、惜しみない拍手を送る。そんな“余裕”がファンの間に生まれた。だから、TT時代。あるいはTTG時代。そんな気がする。

     話が横道に逸れてしまったが、トウショウボーイの物語は、ここからクライマックスを迎える。

     夏を越し、春は断念せざるを得なかった楯のタイトル奪取を目指し、天皇賞(秋)に出走。まだこの頃の天皇賞は秋も3200㍍の距離で行われていた。卓越したスピード能力を誇る天馬。ここで距離の壁を乗り越え、オールマイティーの名馬として名を刻む。そのためにはどうしても欲しい勲章だった。が、7着と初めての惨敗を喫してしまう。
    「距離ではなく、不利な展開と渋った馬場。それが敗因だと思う」。数多くの名馬を操り、その中でもトウショウボーイが最強だったと言う武は、晩年、こんな話をしてくれたのを思い出す。

     いずれにしても、レース後、有馬記念で引退。こんなスケジュールが発表された。ラストラン。テンポイントにとってはトウショウボーイに雪辱するラストチャンスとなったグランプリ。

     お互いに死力を振り絞り、最後はテンポイントの“意地”の前に天馬は屈したが、レース途中からまったく勝敗の行方など気にすることはなかった。ただ、この名勝負がいつまでも続いてくれることだけを願っていた。そして、ゴール前、グリーングラスが猛然と追い込んできたのを見て、改めてTTG時代に遭遇したことの運の良さを実感していた。

     40年前。もしもトウショウボーイがいなかったら…。競馬の隆盛はもっと遅れてやってきたに違いない。

    76年の有馬記念で「名人」と呼ばれた武邦彦騎手と初めてコンビを組み、見事、日本一の座に就いたトウショウボーイ©H.Imai/JRA

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    トウショウボーイ TOSHO BOY

    1973年4月15日生 牡 鹿毛

    テスコボーイ
    ソシアルバターフライ(父Your Host)
    馬主
    トウショウ産業㈱
    調教師
    保田隆芳(東京)
    生産牧場
    藤正牧場
    通算成績
    15戦10勝
    総収得賞金
    2億8077万4800円
    主な勝ち鞍
    77宝塚記念/76有馬記念/76皐月賞/77高松宮杯/76京都新聞杯/76神戸新聞杯
    表彰歴等
    顕彰馬(84年選出)
    JRA賞受賞歴
    76年度代表馬、最優秀3歳牡馬

    2017年9月号

    広見 直樹 NAOKI HIROMI

    1952年生まれ、東京都出身。早稲田大学を中退後、雑誌編集者、記者を経てフリーのライターとなる。著書に「風の伝説 ターフを駆け抜けた栄光と死」、「日本官僚史!」「傑作ノンフィクション集 競馬人」(共著)など。

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