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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    対戦相手を倒すことだけに集中する
    ストイックなボクサーのようだった

    93年天皇賞(春)は、同レース3連覇を狙うメジロマックイーン(ピンク帽)の野望を打ち砕き勝利©JRA

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     菊花賞を制したライスシャワーが向かうのは必然的に古馬の中長距離戦線となる。このカテゴリーには当時、二つ年上の絶対王者が君臨していた。天皇賞(春)を2連覇中のメジロマックイーンである。

     牡馬クラシック最後の一冠である菊花賞を制してスポットライトを浴びたことは同じでも、そこに注がれた灯りは2頭のあいだでいささか趣を異にしていた。ライスシャワーは菊花賞を機に「ヒール」と捉えられたが、メジロマックイーンは芦毛の愛らしいルックスに加え、トップジョッキーの武豊を鞍上に迎えたこともあり、アイドルホースに近い扱いを受けていたのである。もちろん当時も「ヒール」を愛するファンは相当存在したのだが、数でいえばライスシャワーには分が悪かった。

     年明けに始動したライスシャワーは目黒記念で59㌔のハンデを背負いながら2着とすると、続く日経賞は2番手から抜け出して後続を2馬身半も突き放す強い競馬を見せた。絶好調と言ってよかった。

     それでも陣営は天皇賞(春)に向けて調教の内容をさらに強化し、愛馬を苛め抜いた。3000㍍以上の長距離戦でのメジロマックイーンの圧倒的な強さを痛感し、生半可な仕上げでは王者を倒すことができないと感じていたからである。ライスシャワーの体は日に日に研ぎ澄まされ、全身に気迫を漲らせるようになる。的場均はのちにその頃のことを「僕が近づいてもおっかないぐらい殺気立っていた」と述懐している。

     迎えた天皇賞(春)。ライスシャワーの体重は前走の日経賞から12㌔も絞り込まれて430㌔。彼のキャリアを通じての最低体重だった。パドックを周回する彼の姿は、試合に向けて減量を重ね、ただ敵を倒すことだけに集中するストイックなボクサーのようでさえあった。

     レースは王者に標的を定めたヒールの「気迫勝ち」ともいえるものになった。メジロパーマーが後続を離して逃げ、マックイーンは先団を悠々と進む。ライスシャワーその直後、意地でも離されまいとするかのようにピタリと王者をマーク。2周目の3コーナーあたりから徐々にマックイーンが位置を押し上げると、ライスシャワーも外から馬体を併せて追い上げ直線へ向いた。そこからが圧巻だった。逃げるパーマーをマックイーンが捉えるが、首をグッと下げて気迫の走りを見せるライスシャワーがそれを振り切るように交わしてゴールへ飛び込んだ。着差は2馬身半。堂々たる勝利だった。

     しかし満場のスタンドから聞こえたのは、新王者を称賛する声ではなく、大きなため息だった。アイドルホースにして“元”王者が目指した天皇賞(春)3連覇という夢を破ったライスシャワーは、不運にもまた「ヒール」の役割を背負わされてしまった。

    3コーナー過ぎに仕掛けて早め先頭に立ち、後続とのリードを保って直線を迎えた95年天皇賞(春)©H.Imai/JRA

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