story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 20
エリートに挑んだ野武士
ハイセイコーが作った時代
2016年12月号掲載
地方出身馬初の皐月賞制覇
しかしダービーでは3着に…
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4月15日。皐月賞。最初の檜舞台に怪物は立った。デビュー戦の混雑ぶりに嫌気がさし、テレビ観戦を決め込んだファンも多く、場内も落着きを取り戻し、ゲートは開いた。
どうしても突破しなければならない第一関門。鞍上の増沢はこれまで以上の積極策で勝利を目指した。絶好の7、8番手から3コーナーを回った地点でトップを奪うと、そのまま直線へ。ここで進路を外にとると、後続馬に詰め寄られたが、すぐに盛り返して優勝。力の違いを見せつけ、地方出身馬として史上初の皐月賞制覇という偉業を達成した。
次なるステージは競馬の祭典、日本ダービー。物語はここで最初のクライマックスを迎えるはずだった。しかし、陣営はダービーの前に同じ東京競馬場で行われるNHK杯に出走させることを選択した。ここまで大井も含めて右回りのコースしか経験したことがない。しかも日本一長い直線。本番前にどうしても経験させておきたかったのだ。だが弥生賞からわずか2カ月で4度も走らせる過酷なローテーションを批判する声も聞かれた。
そんな複雑な思いが入り混じる中、東京競馬場には祭りの前の一戦を見届けようと17万人の観衆が詰めかけた。そして、ここでハイセイコーは驚愕の逆転劇を見せてくれる。
いつものように好位につけ、自分の形でレースを進めようとしたが、その動きは精彩を欠いていた。内から抜け出す機会を窺うが伸びない。直線に入り、ゴールが200㍍先に迫ってもまだ4番手でもがき苦しんでいる。ファンの悲鳴が飛び交い、テレビ実況のアナウンサーも「あと200しかないよ!」と絶叫した。そのときだった。ようやく覚醒し、追撃態勢を整えると、これまで見せたことのない末脚を繰り出し、ゴール寸前で先頭の馬を頭差交わして勝利を手にした。
左回りと距離の不安を感じさせたものの、怪物が初めて本気になって牙を剥いてくれた。そんな驚きと喜びが場内に満ち溢れた。
5月27日。日本ダービー。11戦全勝で世代の頂点に立つ。出来すぎたシナリオの主人公は威風堂々と晴れの舞台に姿を現した。観客も自分が成し遂げられなかった夢を彼に託し、祈るようにスタートの瞬間を待った。
しかし、先行して徐々に進出。直線では先頭に立ち、あとは力でねじ伏せる。この必勝パターンが崩れた。最初のコーナーを回った地点で10番手とハイセイコーにとっては“後方”でレースを進めた。向正面で大外に持ち出すと、徐々に追い上げ、直線手前では2番手に上がり、あとは前走で見せた末脚を繰り出して…。が、怪物は力尽きた。あっという間にタケホープとイチフジイサミが抜き去り3着を死守するのが精一杯だった。
勝ったタケホープから1秒近く離されてゴールしたハイセイコー。レース後、言い知れぬ虚脱感が東京競馬場を覆った。翌日、マスコミも手のひらを返したように《落ちた偶像》などと、冷たくその敗北を報じた。これで熱狂の日々は幕を閉じてしまうのだろうか。祭りのあとの虚しさがファンの胸を去来した。
実際、しばらくの間、ハイセイコーの名前を見ることも聞くことも少なくなった。しかし、夏競馬も終わり、ようやく涼しさを感じるようになったころ、ふたたび幕は上がった。
ただし、ファンのハイセイコーを見る目は変わった。タケホープという“敵役”の登場で夢は潰えた。これからは挑戦者としてライバルに一矢報いる戦いがはじまる。
畏怖の念すら感じさせたヒーローが、身近で守ってあげたくなる存在として帰って来た。ファンはアイドルを迎えるように温かい眼差しで応援することにした。
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