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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    日本の馬産も大きな転換期
    脅威から好敵手へ、戦友へ

    勝つときは圧倒的な強さを見せるなど〝怪物ぶり”を発揮した同馬だが、素顔はとても可愛い©K.Yamamoto

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     こうして振り返ってみると、「クロフネはこういう馬だった」という、ひとつの切り口のみを見出すことは難しい。ダートで世界最強になれたはずの馬、と考える人もいるだろうが、それはクロフネのひとつの側面でしかない。またそれをすることによって、開放と発展の途上にあった日本の競馬にクロフネが現れ、走ったことの興味深さを見失う危険もある。

     これはごく個人的な見立てだが、クロフネのレースは、負けたレース、勝ったレース、それぞれに競馬史上の意味があったように思える。

     負けたレースといえば、ラジオたんぱ杯やダービー。ここでクロフネを負かしたことは、内国産馬にとっては大きな自信に繋がるものだった。そして気付く人は気付いていたことだろう。マル外をただ恐れ、排除しようとしていた日々は過去のものになりつつあることを。

     日本の馬産はそれまでの努力や経験に加えてサンデーサイレンス、トニービン、ブライアンズタイムといった武器を得て、過去より遥かに高いステージに至りつつあった。クロフネがダービーやJCダートを走った01年は、ステイゴールドがドバイシーマクラシックや香港ヴァーズを勝った年でもある。

     マル外だからとか内国産だからとか、そういう時代は変わりつつあった。あくまで個と個がぶつかり合う時代になるのだ。日本側からも自信をもってその新時代を歓迎できるようになったのは、クロフネのような強いマル外と戦い、時には勝利を得た経験があればこそだったろう。

     もちろんクロフネは、負け役としてのみ機能したわけではない。むしろキャリア最後の2戦となったダートのレースでは、内国産馬たちが一度得た自信をすべて失いかねないほどの圧倒的な走りを見せていった。

     ちょっと勝ったこともあるくらいで調子に乗るなよ、と警告するかのような強烈な強さは、叱咤とか激励という次元を超えていた。まだまだ目指すべき高みはある、と示唆するものでもあった。これはこれで日本側に緊張感と向上心をもたらし、そのレベルアップに寄与するものだったのではないだろうか。

     これはニュアンスの問題かもしれないが、クロフネ以前のマル外にはどこか内国産馬と交わらない線というか、それぞれ別個の世界を築いているような印象があった。しかし21世紀に入ると、天皇賞やクラシックの開放もあって、両者が有機的に混じり合っていく。かつて排除したいと思っていた敵はやがて好敵手となり、戦友となり、自分を高めてくれる存在となっていった。クロフネはその最初期の1頭と位置づけていいだろう。

     クロフネが参戦できなかったドバイワールドカップも、11年に内国産馬のヴィクトワールピサがそのタイトルを日本へ持ち帰った。マル外の出走枠があるとか無いとか、出られるけど2頭だけとか、そんなことを言っていた時期からたった10年後のことだ。

     長い時間をかけてじりじりと進歩していた内国産馬や日本の競馬は、この10年・15年で一気に急加速した。世界のどこに出ても恥ずかしくないという自信もつけた。その急加速の過程を振り返るならば、やはりクロフネはおおいに貢献してくれた好敵手かつ戦友として、その名を思い出されるべき存在だろう。

    クロフネ KUROFUNE

    1998年3月31日生 牡 芦毛

    フレンチデピュティ
    ブルーアヴェニュー(父Classic Go Go)
    馬主
    金子真人氏
    調教師
    松田国英(栗東)
    生産者
    Nicholas M.Lotz(米国)
    通算成績
    10戦6勝
    総収得賞金
    3億7023万5000円
    主な勝ち鞍
    01ジャパンCダート(GⅠ)/01NHKマイルC(GⅠ)/01武蔵野S(GⅢ)/01毎日杯(GⅢ)
    JRA賞受賞歴
    01最優秀ダートホース

    2016年11月号

    須田 鷹雄 TAKAO SUDA

    1970年生まれ、東京都出身。東京大学経済学部在学中の1990年に別冊宝島『競馬ダントツ読本』でライターデビュー。JR東日本入社を経て、96年の退社後は競馬ライターとして連載や執筆活動のほか、テレビ、ラジオにも出演。競馬番組や格闘技番組の放送作家を務めるなど幅広い分野で活動している。

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