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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    この馬はただ強いだけではなく
    特別な「運」も持っている

    1998日本ダービー©H.Imai/JRA

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     アクシデントさえなければ新馬戦を勝てると思った武は、マイルで行われたそのレースで、スペシャルウィークを、過去のダービー馬が東京芝2400㍍で刻んだラップに近いペースで走らせ、勝った。ダービーを勝つために、武が初めて試みた「英才教育」である。

     翌週のインタビューで、こちらから問いかけたわけではないのに、彼はスペシャルウィークについて語り出した。
    「先週新馬勝ちしたスペシャルウィーク、初めて跨ったときから大物だなと思っていたら、そのとおりの強い勝ち方をしてくれた。先頭に立つと耳を立ててキョロキョロしたりと、まだ子供ですが、薄くて、脚の長い、いい馬ですよ」

     2戦目は、98年1月6日、京都芝1600㍍で行われた500万下の白梅賞。武は、返し馬で、同じレースに出ていた弟の幸四郎にこう言った。
    「これ、今年のダービー馬だぞ」

     単勝1・3倍の圧倒的1番人気に支持されたスペシャルウィークは、しかし、幸四郎が乗る14番人気のアサヒクリークにハナ差で敗れた。あとでわかったのだが、中間お腹を壊しており、万全ではなかったようだ。

     賞金を加算できなかったことで予定が狂ってしまった。

     だが、それがかえってプラスとなった。

     白梅賞の次は、2月15日の共同通信杯に向かう予定だったのだが、負けたためキャンセルとなった。ところが、共同通信杯は降雪のためダートに変更されたので、出走しなくてよかったのだ。

     つづく500万下を除外されたときは、
     ――ツキのない馬なのかな。

     とも思ったというが、除外されたがためにきさらぎ賞に直行することになり、そこを勝って、賞金面でクラシックの出走権をほぼ確定させた。

     この馬は、ただ強いだけではなく、特別な「運」も持っている。
     ――ダービーを勝つのはこういう馬なのかな。
     と思うようになった。

    「飄々とした馬です」

     武はまた、スペシャルウィークをそう評すことも多かった。

     直線で歓声に驚いて内に切れ込むなど、サンデー産駒特有の難しさや繊細さを見せてはいたが、その一方で、他馬の動きや物音などに動じず、周囲で何があろうと自分のペースを変えない、どこか達観したようなところがあったからだ。

     それは、この馬が育った環境が関係していたのかもしれない。

     母キャンペンガールは、生産者が、日本を代表する名牝シラオキの血をつなぐべくつくり出した牝馬で、非常に気性の激しい馬だったという。栗東の小林稔厩舎に入厩するも、気性難が災いして負傷し、未出走のまま牧場に戻って繁殖牝馬となった。そのキャンペンガールは、スペシャルウィークの出産予定日の3カ月前ほどから頻繁に疝痛を起こし、かなり衰弱していた。薬を使って出産させたが、やがて死亡した。

     そのため、スペシャルウィークは、ばんえい競馬に出る大型馬の乳母によって育てられた。

     乳母に育てられた馬は、馬との関係のつくり方や保ち方も、人間とのそれらも、普通に母馬に育てられた馬とは違ってくることがままある。小さなころから人間と接する機会が多くなるためか、いい意味で人間に依存し、信頼するようになるケースも多いようだ。

     スペシャルウィークは、「サンデー産駒にしては」というエクスキューズがつくにしても、育成馬時代から人懐っこく、扱いやすかったという。

     4戦目の弥生賞も勝ったスペシャルウィークは、皐月賞を1番人気で迎えたが、荒れた馬場に持ち味を封印されて3着。

     それでも、武の自信が揺らぐことはなかった。器用なタイプではないので、広くて直線の長い東京コースのほうが絶対にいいと確信していた。

     ――ミスとアクシデントさえなければ勝てる。

     そう思ったからこそ、これ以上、騎乗馬の癖などをメディアに話して、他馬陣営が戦術の参考にできるような材料を与えるべきではないと考えた。いつもの彼は、取材に応じながらモチベーションを高めていくのだが、このダービーの週だけは、調教が終わるとすぐ帰宅した。そして、何度も週間天気予報を見て、当日、良馬場になることを祈っていた。

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