story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 17
牡馬に真っ向勝負を挑んだ名牝
エアグルーヴと牝馬の時代
2016年9月号掲載
日本の競馬界にとっての境界線
同馬の前と後とでは時代が変わった
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天皇賞を制したエアグルーヴはその後、ジャパンCでピルサドスキーの2着、有馬記念がシルクジャスティスの3着。勝てはしなかったものの、牡馬の一線級が揃うチャンピオン路線で善戦を繰り返し、牝馬としては71年のトウメイ以来、実に26年ぶりに年度代表馬に選出された。そして翌98年も現役を続けた彼女は当たり前のように牡馬のチャンピオン路線を進んだ。大阪杯を勝ち、札幌記念を連覇。GⅠは宝塚記念3着、ジャパンC2着など好走を繰り返した後、ターフを後にして繁殖に上がった。
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先に記したようにエアグルーヴの前と後とでは時代が変わった。彼女は日本の競馬界にとって境界線となった。彼女の後、牡馬の一線級に挑む牝馬、そして実際に屈強な男どもを蹴散らして勝利する女の子が一気に増えた。05年にはスイープトウショウが宝塚記念を、ヘヴンリーロマンスが天皇賞(秋)を制した。07年にはウオッカがダービーに挑んでこれを勝利すると、その後、彼女は当然のように牡馬の一流どころに混ざって走り、08年に秋の天皇賞、09年にはジャパンCを優勝。天皇賞を勝った時は同じく牝馬のダイワスカーレットとハナ差の大接戦を演じ、敗れたダイワスカーレットも続く有馬記念を勝ってみせた。また、ブエナビスタも10年の秋の天皇賞、11年のジャパンCを、ジェンティルドンナも12、13年のジャパンCを連覇、14年には有馬記念の他、海を越えてドバイシーマクラシックも制覇してみせた。エアグルーヴが年度代表馬になった時、牝馬としては実に26年ぶりだったことは記したが、その後はウオッカ、ジェンティルドンナがいずれも2度、ブエナビスタも1度、年度代表馬に選出されている。エアグルーヴが大きな分岐点となったことは火を見るよりも明らかだろう。
また、エアグルーヴの功績はそれだけに止まらなかった。産駒のアドマイヤグルーヴは03、04年のエリザベス女王杯を連覇、ルーラーシップは12年に香港でクイーンエリザベスⅡ世Cを優勝。更にアドマイヤグルーヴの仔・ドゥラメンテが昨年のダービーと皐月賞を制している。
エアグルーヴは様々な面で日本の競馬界に影響を与えた“本物の名牝”と言えるだろう。 (文中敬称略)
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エアグルーヴ AIR GROOVE
1993年4月6日生 牝 鹿毛
- 父
- トニービン
- 母
- ダイナカール(父ノーザンテースト)
- 馬主
- 吉原貞敏氏→吉原毎文氏→㈱ラッキーフィールド
- 調教師
- 伊藤雄二(栗東)
- 生産牧場
- 社台ファーム
- 通算成績
- 19戦9勝
- 総収得賞金
- 8億2196万6000円
- 主な勝ち鞍
- 97天皇賞(秋)(GⅠ)/96オークス(GⅠ)/97・98札幌記念(GⅡ)/98大阪杯(GⅡ)/97マーメイドS(GⅢ)/96チューリップ賞(GⅢ)
- JRA賞受賞歴
- 97年度代表馬/最優秀4歳以上牝馬
2016年9月号