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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

未来に語り継ぎたい名馬物語 17

牡馬に真っ向勝負を挑んだ名牝
エアグルーヴと牝馬の時代

平松 さとし SATOSHI HIRAMATSU

2016年9月号掲載

「牝馬の時代」の幕を開けたとも言われるエアグルーヴ。3歳時はオークスで優勝、古馬となってからは牡馬の一線級と鎬を削り、天皇賞(秋)を勝利するなど活躍した名牝だ。

    1997天皇賞(秋)©H.Imai/JRA

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     1997年10月26日。彼女は“ガチャリ”と音を立てて時代の方向性を大きく変えてみせた。転轍機というかエポックメイキングというか……。どんな時代にもどの世界にもそのような存在はいるものだが、今回紹介するエアグルーヴも、正しくそういった存在であった。

     さかのぼること4年半。93年4月6日。父トニービン、母ダイナカールの仔として彼女は生を受けた。この5日後に行われた桜花賞を武豊の操るトニービン産駒のベガが勝つことになるのだが、エアグルーヴ、ベガ、両馬の生産にかかわった、当時社台ファーム早来の吉田勝已は次のように語った。
    「トニービンを導入したばかりの頃で、良い繁殖牝馬をこぞってつけました」

     ダイナカールは岡部幸雄を背にデビューから3連勝。牝馬クラシック戦線に乗った。しかし、桜花賞では岡部に自厩舎の騎乗馬がいたため他の騎手が騎乗。3着に敗れていた。

     現在は大半の騎手がフリーだが、実は岡部が「こんな思いはもうしたくない」と、これをきっかけにフリーになったことから時代は大きく変わったのだ。エアグルーヴが時代を変えたことは追って記すが、そういう意味では母のダイナカールも間接的に時代の流れを変えた馬だったのである。

     さて、そんなダイナカールは岡部の手に戻ったオークスを優勝する。ゴール前はハナ、アタマ、ハナ、アタマの差で5頭が横一線に並ぶ大接戦ではあったが、岡部は後に言っていた。
    「小さな馬だったけど、最後まで絶対に諦めない性格の持ち主だったから接戦でも負けないと思いました」

     こうしてトニービンのお嫁さんに選ばれたダイナカールとの間に生まれた仔に注目していたのは、吉田勝已ばかりではなかった。
    「生まれたらすぐに教えてくださいと伝えていました。それで連絡をいただいたので、翌日には見に行きました。『素晴らしい』というのが第一印象でした」

     そう語るのは後にこのエアグルーヴを管理することになる伊藤雄二だった。

    1996オークス©H.Imai/JRA

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