story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 13
常に全力で駆け抜けた根性娘
ブエナビスタの末脚
2016年5月号掲載
4、5歳時のジャパンCの直線で、
ついて来られる馬などいなかった
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古馬となったブエナビスタは、結果的に4歳(2010年)と5歳(2011年)の2年間を、ほぼ同じローテーションで戦うこととなる。
春はドバイ遠征。帰国してヴィクトリアマイルを走り、そのまま宝塚記念へ。秋は天皇賞、ジャパンC、有馬記念。2年連続で秋の中長距離GⅠに皆勤した牝馬は、ブエナビスタが引退して5年が過ぎた現在も、彼女しかいない。
その2年で違っていたのは、4歳時は始動戦として京都記念の勝利が加わっていたこと。そしてドバイで走ったのが、4歳時はドバイシーマクラシック、5歳時はドバイワールドCだったことだった。
最初のシーマクラシックは、直線で前が塞がる不利がありながら、進路が開くやそこからものすごい脚で猛追。イギリスの強豪牝馬ダーレミに4分の3馬身差まで迫ったところがゴールだった。
オールウェザーで行われたワールドCは後方から進んだが、レースは前半1000㍍が1分6秒42の記録的なスローペースに。そのまま何もできず、はるか前で競り合うヴィクトワールピサとトランセンドの背中を見ているしかなかった。
どちらも「ブエナビスタらしい」敗戦だったという点では同じだった。そしてそのことは、他のレースにもいえた。
宝塚記念は、4歳時は湿った馬場に最後のひと踏ん張りを欠いて、5歳時はレコードで駆け抜けたアーネストリーを後方から追うも届かず、ともに2着だった。
ヴィクトリアマイルは、どちらの年も猛然と追い込み、4歳時はクビ差で勝利、5歳時はアパパネにクビ差届かなかった。
4歳時の天皇賞(秋)は、馬群から鮮やかに抜け出して圧勝した。逆に翌年は馬群に包まれてなかなか進路が開かず、狭いインをなんとか割って急追したが、時すでに遅し。悔しい4着に終わった。
ジャパンCも同じだった。どちらの年も、ブエナビスタはいつものように府中の直線をこれ以上ないほど力強く伸びた。ついて来られる馬など1頭もいなかった。
しかし、結果は違っていた。
4歳時、2010年ジャパンC。2番手から抜けたヴィクトワールピサをあっさり交わし、さらに1馬身4分の3差をつけてゴールしたブエナビスタに待っていたのは、直線で馬群を抜け出す際にローズキングダムの進路を妨害したとして、2着へ降着とするという処分だった。
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