story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 13
常に全力で駆け抜けた根性娘
ブエナビスタの末脚
2016年5月号掲載
幼少期は小柄で目立たなかったが
競走馬となり大きな注目を集めた
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ブエナビスタは2006年3月14日、北海道早来町(現安平町)のノーザンファームで誕生した。
父スペシャルウィークはこれが6世代目の産駒。2世代目からはシーザリオやインティライミが出ていたが、リーディングを争うまでにはなっておらず、比較的地味なポジションに落ち着いていた。
一方、母ビワハイジには勢いがあった。4歳上のアドマイヤジャパン、2歳上のアドマイヤオーラと、ともに父の違う半兄がクラシック戦線で活躍していたのだ。
とはいえ、牧場時代のブエナビスタが目立たない馬だったというのは関係者が口を揃えるところだ。バランスは良いが小柄な馬体。乗り味は柔らかいが、特別な良さがあるわけではない。性格は利発で、体質は丈夫。だからこそ手がかからず印象に残りにくい。ノーザンファームの秋田博章場長(当時)によれば、そのあたりはこの母の産駒の特徴だという。
そんなブエナビスタのデビューは、2歳秋の京都だった。今では「伝説の新馬戦」として語り継がれているこのレースで、ブエナビスタは3着に敗れる。
スタートは遅く、二の脚もつかず後方から。しかし直線では次元の違う末脚で飛んできたその走りは、以降しばらくの間、彼女のトレードマークになっていく。
松田博資調教師は、デビュー前にゲート練習をほとんどやらないことで知られていた。怪我のリスクを減らすためで、スタートは後から自然と覚えていけばいいのだという。大きな怪我もなく約3年間走り続け、いつの間にか出遅れもほぼなくなったブエナビスタは、まさにそんな“マツパク”流の粋のような馬だった。
この新馬戦を勝ったのは、翌春に皐月賞を勝つアンライバルドだった。続いてダービーで2着に入るリーチザクラウン。4着のスリーロールスは菊花賞馬となる。これらを相手に牝馬の身で1番人気に推され、互角以上の走りを見せたブエナビスタが高く評価されたのは当然だった。
いわゆる「負けて強し」。敗れてなお、なぜか信頼を得てしまう彼女の不思議な魅力の原点は、すでにもうここにあった。
ただそれ以上に、当時の世間の騒ぎ方は少し度が過ぎるほどだった。
この新馬の翌週、東京で行われた天皇賞(秋)では、ブエナビスタの2歳上のウオッカとダイワスカーレットが競馬史に残る激闘を繰り広げていた。時代はまさに牝馬真っ盛り。そこへきて、また「強い牝馬」が現れた!というわけだった。
世界を見渡しても、2歳上にはアメリカの怪物牝馬ゼニヤッタが、1歳上にはフランスのマイル女王ゴルディコヴァや凱旋門賞馬ザルカヴァがいた。同世代にもアメリカのぶっちぎりクイーン、レイチェルアレクサンドラが登場している。今から考えれば奇妙なほど同時多発的に「強い牝馬」が現れた時代の、そのど真ん中にブエナビスタは生まれたのだった。
未勝利を圧勝し、阪神ジュベナイルフィリーズでも直線だけでほとんど全馬を抜き去ってビワハイジとの母仔制覇を達成した頃には、周囲ではあるレース名が囁かれるようになっていた。凱旋門賞だ。
あまりにも気の早すぎる話だが、それだけウオッカが果たせなかった「3歳牝馬の凱旋門賞挑戦」を託せる少女の登場が待たれていたということでもあった。
年が明け、チューリップ賞を完勝し、桜花賞を楽々と制し、実際に凱旋門賞への1次登録も済ませて迎えたオークスは、苦しいレースとなった。いつも通り最後方近くから追い込んだが、完璧な競馬で先に抜け出したレッドディザイアも伸びる。やっと追いつき、ほとんど奇跡的にハナ差交わしたところがゴールだった。
辛勝ではあったが、しかしその後は渡仏の日程やフランスでの入厩先など、凱旋門賞挑戦プランが着々と煮詰められていった。しかし、ステップとして選んだ札幌記念の敗戦で計画は白紙となり、ブエナビスタは秋華賞で牝馬三冠を目指すこととなる。大外から猛烈な勢いで追い込んだが、先行した伏兵ヤマニンキングリーにクビ差だけ届かなかったのだ。
さらに牝馬三冠をかけた秋華賞も、札幌記念と同じような、しかし輪をかけてつらい敗れ方となった。抜け出したレッドディザイアを京都内回りの短い直線で必死に追うも、ハナ差届かず。しかもブロードストリートの進路を妨害したとして、3着に降着となってしまったのだ。
敗戦はなおも続く。エリザベス女王杯は、2頭で競り合うように大逃げの形で進んだクィーンスプマンテとテイエムプリキュアを懸命に追い詰めるも3着まで。
有馬記念では、初めて比較的前の方でレースを進めることができた。厳しい流れにも怯まず、堂々たる走りで早めに抜け出す。しかし最後に力尽き、ドリームジャーニーに並ばれ、交わされて2着。
僕たちとブエナビスタの間の不思議な信頼関係は、たぶんこの3歳夏から秋にかけての4連敗の中で生まれた。敗戦には理由があり、それは彼女のせいではなかった。敗れることは決して裏切ることではないのだと、僕たちは知ったのだ。