story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 12
稀代の名馬となった貴婦人
ジェンティルドンナの闘志
2016年4月号掲載
オルフェーヴルとの激闘
2012年ジャパンカップ
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さて、牝馬三冠を達成したジェンティルドンナが次に選んだのはエリザベス女王杯ではなくジャパンカップだった。語り継ぐべきレース、2012年のジャパンカップ。ここにはフランスから帰国したオルフェーヴルも出走してきた。わずかのところで世界王者決定戦凱旋門賞を逃した男がもちろん1番人気である。2番人気はルーラーシップで、ジェンティルドンナは3番人気に推されていた。ルーラーシップに2番人気を譲るあたりに、ファンの微妙な期待度が表れている。
レースでは、春の天皇賞馬ビートブラックが逃げた。ジェンティルドンナは先行し、オルフェーヴルは後方から。4コーナーから追い上げたオルフェーヴルはど真ん中からビートブラックを追う。内からジェンティルドンナ。二頭の体が合った。ぶつかった! 二頭はビートブラックをかわすと壮絶な競り合いを続ける。ハナ差でジェンティルドンナが先着したが「審議」のランプがともった。
府中の検量室前に関係者と大勢のプレスがつめかけ、結果を待つ。
「なんだよあれ」
「まさか、自分からぶつかっていったんじゃないの?」
「ふつう牝馬ならひるむところでしょ」
「すげえな」
「相手、オルフェだぜ」
記者たちのつぶやきは、彼らがジェンティルドンナのありえない闘志に舌を巻いた証拠だった。ジェンティルドンナがオルフェーヴルとぶつかったあの瞬間、私の心に火がついた。そして長い長い二十分の審議の間に静かにゆっくりと、このとんでもない牝馬にホレていったのだった。
「三冠を勝ったこれまでもほんとうの走りをまだ見たことがなかった。だから、この馬のすべてを出し切ったら、怪物(オルフェーヴル)が相手でも勝てる自信はあった」
オルフェーヴルに体を寄せていったことが審議の対象となったため岩田康誠ジョッキーに笑顔はなかったが、私はその言葉にはじかれた。私の大好きな強い強いオルフェーヴルを負かしたのが当然だと彼は言ったのだから。
私は牝馬三冠レースのジョッキー談話を調べ直した。いま手元に岩田ジョッキーの三冠レースの感想が残っている。
①桜花賞「まだまだ力を隠している、完成度は六割程度」
②オークス「ペースとか2400㍍とか関係ない。他の牝馬には絶対負けない自信があった。だから、勝ったときは当然だと思ったし、ラスト100㍍からの加速はさすがだった。……体は桜花賞のときよりも使えていたけれど、あれでもまだ“飛んで”なかった」(騎乗停止のため実戦では川田将雅騎手騎乗)
③秋華賞「本気で走っていたのは最後の1ハロンだけ。それまではずっと遊んでいる感じだったし、ゴールしたらまた遊んでいた。レース直後でもケロッとして息も乱れていない」
岩田ジョッキーのこの言葉をヴィルシーナが読んだら絶句しそうだ。なんて感じの悪い馬なんだ! 女相手じゃ不足だったなんて。けれど、だからこそ3歳で牝馬「なのに」ジャパンカップを勝てた。
「あの」オルフェーヴルに競り勝ったのだ。競馬場でいまだかつて見たことのないものを見せられたとき、私たち競馬ファンはそれを伝説として語り継ごうとする。あの日、まぎれもなく史上に残るレジェンドが誕生したのだった。
この日以来、ジェンティルドンナは過酷な戦いへと乗り出していき、二度と牝馬限定路線へと引くことがなかった。「決して平坦な道ではないでしょう。それでも私はジェンティルドンナは世界に挑戦すべき馬だと思っています」と石坂正調教師は語り、年が明けるとドバイへの遠征、凱旋門賞挑戦プランが表明された。じっさい凱旋門賞には出られなかったものの、春のドバイ遠征→宝塚記念→秋の天皇賞→ジャパンカップという一流牡馬にとってもきつい路線を歩み、最後は有馬記念にも出走。4~5歳の二年間に10戦して3勝を挙げている。
この3つの勝ちレースでジェンティルドンナの魅力は全開だ。
①スムーズに好位につけられる。
スタートしてからすっと先行するジェンティルドンナはいつもやる気満々で、激しくかわいい。
②好位をキープできる。
落ち着いて堂々と走っている。その堂堂とした態度がまったくの自然体であるところがステキだ。牡馬だらけの中に入ってもまったく動じないし、見劣りしない馬体が頼もしい。
③追えば伸びる。
とにかく伸びるのだ。
④並んだら抜かせない。
その言葉通り、闘争心あふれる競り合いはジェンティルドンナの根性を見せつけてくれる。
⑤ゴールした後、女に戻る。
ゴールラインを抜け減速するとき、左右の耳を別々に動かし、パチパチッと目をしばたく。その顔が女のコなのだ。