story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 11
2000年は古馬中長距離GⅠを全勝
テイエムオペラオーの完全なる疾走
2016年3月号掲載
「ことしはひとつも負けない」
それが陣営の最大目標となった
そしてあの2000年を迎える。
テイエムオペラオーの戦いはJRA賞の表彰式のときにはじまった。前の年にGⅠ1勝に終わったことに納得がいかなかったオーナーの竹園氏は、岩元氏や厩舎スタッフに向かって「1年間無敗で戦え」と発破をかけたのだ。
「一敗もしちゃいけない。一戦一戦最後だと思って仕上げて、ちゃんと乗れ」
竹園氏と岩元氏は幼なじみで、一緒に遊んだ仲だった。そうした関係からストレートに気持ちを伝えられたのだろうが、それにしても、まさかそれが現実になるとは竹園氏自身も思ってはいなかったのではないか。
00年初戦の京都記念ではライバルのナリタトップロードとの競り合いに首差で勝った。つづく阪神大賞典もラスカルスズカに2馬身半の差をつける完勝だった。まずは軽くGⅡを2連勝である。ちぐはぐさは影を潜め、テイエムオペラオーは直線でしっかりと伸びてきていた。
後年、和田竜二騎手に話をきく機会があったが、このころから答えが見えたと語っていた。元々乗りやすい馬で、どんなレースにも対応できる柔軟さをもっているテイエムオペラオーは、ほかの馬の動きに惑わされないで自分の走りをしていればきちんと勝てるのだ。それを確認できたのが有馬記念であり、京都記念だったという。
それからもテイエムオペラオーはひとつずつ確実に勝利をものにしていった。
3戦めの天皇賞(春)ではさらに安定したレースを見せる。序盤は中団をゆっくりと進み、3コーナー過ぎで先に動き出したナリタトップロードを追うようにして上がっていくと、4コーナーを回ったところではすでに先頭に立っていた。あとはうしろから追ってくるラスカルスズカに抜かれないようにゴールインするだけだった。
勝利騎手インタビューを受ける和田騎手も自信に満ちていた。
「ぼくが邪魔をしなければ大丈夫だと思っていましたから」
それはテイエムオペラオーのファンとして一番ききたかったことばだった。
どんなにじょうずな騎手でも遅い馬を勝たせられないが、へたに動けば強い馬の足を引っ張ることになる。それが騎手という仕事のむずかしさなのだが、和田騎手はテイエムオペラオーの「邪魔をしないように」乗っている。
さらに和田騎手はこうも語っている。
「ことしはひとつも負けないように頑張ります」
ひとつも負けるなという竹園氏の意思はテイエムオペラオー陣営に浸透し、「年内無敗」が最大の目標になっていた。
4戦めの宝塚記念には2連覇を狙うグラスワンダーが参戦してきたが、有馬記念のあと2連敗するなど状態も思わしくないようで、残念ながら再戦ムードにはほど遠かった。
たいするテイエムオペラオーは完璧だった。雨の降るなか、荒れたインコースを避けて外から抜け出してくる。内を突いたメイショウドトウに首差まで迫られたが、まったく危なげなかった。
宝塚記念のあと、わたしは栗東トレセンに岩元市三調教師をたずねている。馬については「去年と変わらない」、4連勝については重量とか馬場状態とか距離とか体調の面でほかの馬にマイナス要因があったから、と控えめな岩元氏は、
「和田は自信をもって乗っている。やっぱり騎手という仕事はいい馬に乗らないとだめなんだ」
と愛弟子の成長をよろこんでいた。そんな岩元氏に面と向かってはききにくかったが、菊花賞で負けたあと騎手を替える気持ちはなかったのかたずねると、
「ジョッキーは走る馬に乗らないと芽が出ないから」
とだけ言った。
それは岩元氏自身が師匠の布施調教師から教わったことでもあった。師匠が我慢していい馬に乗せてくれたことが自分の成長につながったことを岩元氏は身に染みて知っている。
和田騎手も失敗を繰り返しても乗せつづけてくれた師匠の気持ちを強く感じていた。恩義に報いるためにもことしは絶対に負けられない――。
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