story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 11
2000年は古馬中長距離GⅠを全勝
テイエムオペラオーの完全なる疾走
2016年3月号掲載
総獲得賞金18億3518万9000円、JRAGⅠ7勝などの記録を持つテイエムオペラオー。競走生活のハイライトは5つのGⅠを含め重賞8戦無敗の2000年シーズンだった。
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パドックを見ていると、自分の意思に関係なく目に飛び込んできて離れない馬がたまにいる。理由はわからない。ただ、妙に感性を刺激してくるのだ。
皐月賞のテイエムオペラオーがそうだった。毎日杯の優勝馬でもとくべつ注目していなかったし、馬券を買う予定もなかった。四角で細長い馬体はどちらかといえば嫌いなタイプだ。なのに不思議な輝きを放つ栗毛は何度も目にとまり、なにかを訴えてくる。
シルエットや雰囲気がラムタラに似ているなと思った。そのときわたしは33億円で話題になったラムタラの輸入を基軸にした本を書いているときだったから、そういう意識が働いたのだろう。
血統を見ると、母の父がラムタラとおなじブラッシンググルーム(父レッドゴッド)だった。なるほど、と思う。81年の二冠馬カツトップエース(ことしの皐月賞、ダービー戦線ではこの馬が話題になることでしょう)や96年の年度代表馬サクラローレルにも似たようなイメージがあった。カツトップエースの父はレッドゴッド産駒のイエローゴッド、サクラローレルの父はブラッシンググルーム産駒のレインボウクエストである。栗色のスプリンター、レッドゴッドの血を受けたステイヤーを思い起こしながら、あらためてパドックの栗毛を見る。
「おれをちゃんと見ておけよ」
かれはたしかにそう言っていた(とわたしには感じられた)。
レースにも驚かされた。2着のオースミブライトとの着差は首だが、後方から大外を回って追い上げてくる無駄の多いレースをしながらゴール前でさらに伸びて勝ちきったのだ。
これはとんでもない馬だ――。
そう確信したわたしは払い戻し窓口に向かう。戻ってきたのは発走除外になった馬に流した馬連だけだった。
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3歳時の有馬記念をきっかけに
流れはいい方向に向いてくるはず…
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以来、わたしはテイエムオペラオーの信者となった。ある雑誌に「騎手が邪魔しなければ5馬身差は保証する」と書いたダービーでは先頭に立つのが早すぎて3着に負けたが、それでも3歳最強という思いは揺るがなかった。
その夏、うまれ故郷の杵臼牧場(北海道浦河町)をたずねた。
テイエムオペラオーの母親ワンスウェドは87年1月に場主の鎌田信一氏がアメリカのせり市で購入した馬だった。価格は1万5000ドル(当時のレートで約230万円)。ブラッシンググルームの産駒では2年前に2着から繰り上がったレインボウクエストが凱旋門賞馬になっていたが、ナシュワン(89年イギリス二冠馬)や“ワンダーホース”アラジ(91年に欧米で2歳チャンピオン)があらわれる前だったことも幸いして、鎌田氏の手も届いたのだ。
96年にうまれたテイエムオペラオーはワンスウェドの七番めの子である。父のオペラハウスはイギリスのキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスなど三つのGⅠに勝った馬だが、まだ産駒が走っていないこともあって注目する人もすくなかった。
そんななかで真っ先に馬を見にきたのは栗東トレーニング・センターの岩元市三調教師だった。岩元氏は師匠の布施正氏のもとで騎手をしていたときから杵臼牧場と親交があった。そして、岩元氏の紹介で牧場をたずねたオーナーの竹園正繼氏がひとめで気に入り、1歳秋に日高軽種馬農協の北海道10月市場で落札する。価格は1050万円だった。
日高地方の平均的な家族牧場からうまれた、たいして注目する人もいなかった馬なのだから、鎌田氏は皐月賞に勝てただけでじゅうぶんだと言っていた。しかし、テイエムオペラオーは世界有数の3歳馬だと信じて疑わないわたしは、そのときの原稿をこう結んでいる。
〈あなたのつくった馬は、GⅠひとつで満足してはいけない馬です。それどころか、外国の馬にだって負けません、と、この際だから、偉そうにいってしまおう。〉(『優駿』99年8月号)
根拠のない自信をもった素人ほど始末が悪いものはない。
しかし、テイエムオペラオーは秋も惜敗がつづいた。ダービーの負けが影響したのか、菊花賞ではスパートがワンテンポ遅れてナリタトップロードをとらえきれなかった。さらにGⅡのステイヤーズステークスでもゴール前でペインテドブラックに足をすくわれる。
煮え切らない、ちぐはぐな負けが重なり、蓄積したフラストレーションは和田竜二騎手への批判に変わる。デビュー4年め、21歳の和田騎手には気負いとか焦りのようなものが見てとれた。騎手を替えるべきだという声もきこえはじめ、「騎手が馬を信用していない」と書いたわたしもそう思った。
微妙な空気のなかで迎えた有馬記念でテイエムオペラオーは印象的な走りを見せる。90年代を代表する2頭、グラスワンダーとスペシャルウィークのライバル対決に割ってはいろうかという勢いでゴールに向かい、鼻、首差の3着になったのだ。それまでの惜敗とは天と地の差がある、テイエムオペラオーの力を存分に発揮できた3着だった。
これがおれの走りだ。しっかりとつかまってろよ――。
あの直線、テイエムオペラオーは和田騎手に語りかけているように思えた。これをきっかけに、流れはいい方向に向いてくれるに違いない。有馬記念の走りを見たわたしは――批判は間違ってなかったと思っているが――騎手を替えるべきだと思った自分を恥じた。
結局この年はGⅠは皐月賞しか勝てなかったが、三冠路線と有馬記念で3着以内という成績を残したことが評価されたテイエムオペラオーはJRA賞の最優秀4歳牡馬(当時)に選ばれた。