story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 09
ウオッカと激闘を演じたターフの大女優
ダイワスカーレットの美学
2015年11月号掲載掲載
12戦8勝2着4回と一度も連対を外さなかったダイワスカーレット。好敵手ウオッカと熱戦を繰り広げた競走馬時代のエピソードを交えながら、彼女の素顔に迫る。
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「忘れられない最強牝馬」として
今なお強い支持を得ている理由
ダイワスカーレットは2007年のエリザベス女王杯や翌年の有馬記念などを逃げ切った。しかし私は、この馬を「逃げ馬」と呼ぶことに少なからぬ抵抗を感じる。2、3番手につける競馬でも勝っているから、ではない。「逃げ馬」という言葉は「脆さ」や「危うさ」を内包しており、それはこの脚質に特有の欠点でもあり、魅力にもなっている。応援しながら見ている側にすると、ハラハラさせられるぶん、勝ったときの喜びは余計に大きくなる――というのが、「普通の逃げ馬」が支持される所以だろう。
だが、12戦8勝2着4回という成績が示しているように、スカーレットは「普通」ではなかった。
レースを見ながらハラハラしていたのは、スカーレットを応援していた側ではなく、ほかの馬の勝利を願っていたファンや関係者ではなかったか。
――早くかわしに行かないと突き放されるぞ。ほら、早く……!
そう思いながら見ていた人間たちにとって、この馬の逃げ脚の、なんと速く、強靱で、揺るぎないものだったか。
牝馬でありながら、この安定感。
勝つときの強さは驚異的だが、負けるときはあっさりだったライバルのウオッカとは対照的だ。ウオッカはそして、敗れたとき、例えばドバイではナイターになじめなかったのではないか……など、しばしば精神的な要因が挙げられた。
それに対して、スカーレットの敗因がメンタル面に帰されたことはほとんどない。しいて挙げれば、「ゴールの瞬間レジェンドになった」と言われたウオッカとの名勝負、2008年の天皇賞・秋で、レース序盤、大阪杯以来の休み明けだったので、いつも以上に気負って抑えが利かなかった、ということぐらいか。
しかし、敗因といっても、スカーレットは直線で一度は馬群に呑み込まれるかと思われながら驚異的な二の脚で盛り返し、このレースを「歴史的名勝負」へと押し上げた。勝ったウオッカとの差は僅かに2センチ。素晴らしいパフォーマンスを発揮したのだから、力を出せずに敗れた、というわけではない。
「女心と秋の空」ではないが、びっくりするほどの強さを見せたかと思うと、理由のわからない凡走をするのが「牝馬らしさ」でもあるわけだが、そういう意味では、スカーレットほど女らしくない牝馬はいなかった。
この「崩れ」のない強さは、ともすれば、判官贔屓を好む日本人の目には「悪役」として映りかねないほどだった。生まれは社台ファームで、兄にダイワメジャー、近親にヴァーミリアンなどがいる勢いのある母系で、オーナーも著名で、厩舎も主戦騎手も一流だ。
また、能力は近いがタイプはまるで異なるウオッカという同性、同世代のライバルがいて、向こうは「64年ぶりの牝馬によるダービー制覇」という派手な活躍で人気を博していた。
そうした状況にありながら、スカーレットは「アンチ」に憎まれる存在にはならなかった。そして今なお、「忘れられない最強牝馬」として、多くの人々から強い支持を得ている。
それはなぜか。
ひとつには、最後まで全力で走り、持てる力を出し切る一所懸命な姿が共感を呼んだからだろう。
そして、感動的なまでの強さ。引退レースとなった08年の有馬記念では、4コーナーから直線入口にかけて、メイショウサムソンやアサクサキングス、スクリーンヒーローといった牡のGⅠ馬たちが一気に襲いかかってきたが、
――え、まだ止まらないの? ここからまた伸びるの!?
と私たちを驚かせる強さで勝利を手中にした。逃げ・先行馬に不利な速い流れになっても後ろを突き放す常識を超えた走りで、人々の心を大きく動かした。
もうひとつは、この馬のルックスや走るフォームなどに、「歴史的名牝」と呼ぶにふさわしい、衆目を魅了してやまない美しさがあったからだろう。
管理者の松田国英調教師が、厩舎前でスカーレットを見て、「この馬が歩くと、ここが狭く感じられるでしょう」と目を細めたほど、立派な体をしていた。直線で苦しがってヨレたりしない走りには、牝馬とは思えない剛性感があった。にもかかわらず、「重戦車」といったイメージからはほど遠い、エレガントなフォームでターフを駆けた。
明るい栗毛の馬体はしなやかで、大きな流星の目立つ顔は愛らしかった。
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