story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 08
幾度もの復活を遂げた帝王
トウカイテイオーと奇跡
2015年10月号掲載掲載
休み明けであろうとなかろうと
いつも走りすぎてしまうタイプ
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テイオーが生み出した振幅の、もう一方の端には「劇的な復活」が存在した。強かったと言えばそれまでなのだが、3度の骨折からはなかなか立ち直れないし、いきなり好走できるものでもない。
「何回も、怪我をして復活できるというのは、凄い精神力があるからだろうね。普通の馬なら自信をなくしてしまうところですよ」
岡部騎手がそう話している。では、凄い精神力とはどのようなものだったのか。テイオーのメンタルは、一体どういう傾向を持っていたのだろうか。
社台スタリオンステーションの徳武英介氏が興味深い話を披露した。言わずと知れた種牡馬時代の繋養先である。
「面倒を見るのが楽なタイプ、担当者はそう話してました。厩舎の中もきれいだし、体を絶対に汚さない。たまに砂浴びするくらいで潔癖な馬でしたし、弱いところはなかったし、獣医不要の馬でしたね。ただ、治療はすごく嫌がりました。採血一つでたいへんな騒ぎになりましたし、獣医さんの白衣を見るだけでダメでしたね。目が血走ってすごかったです。手はかからないけど触らせない。孤高の王様みたいな部分を持っていたような気がします。その点では、気持ちのすごく強い馬でした」
治療は嫌うものの普段は手がかからない、と、現役時の担当厩務員にも同じ談話が残っている。ただ、極端な治療嫌いに現れているとおり、どこか鋭敏な、いや過敏な一面を持ち合わせていた。
「一度、東京競馬場にお披露目に行ったことがあります。あの時、函館でワンクッション置いて、そこから府中に運んだんですよ。でも、こちらとしては万全を期したつもりでも、往復で40㌔くらい体重を減らしました。そういう意味では非常に繊細でしたよね」
徳武氏がそのように続けた。振り返れば2009年のイベントである。話が進むうち、テイオーという馬の輪郭が少しずつはっきりしてきたような気がする。
「こちらは松元先生にお聞きした話なんですけども、レースに対して気持ちが入ってしまって、一度使うと走り過ぎてしまうので、プールで泳がせるなどして、気持ちが張り詰めないよう工夫されていたそうです。ラストランになった有馬記念の前も、出そうと思えば、秋にひと叩きできたんだけども、使うとどこまでも走ってしまうので、逆にためらわれたと言います。だから待つだけ待って、直接本番に、となったそうなんですよ」
なるほど、われわれは「364日ぶりの復活」に酔いしれたが、ひと叩きできない事情もテイオーにはあったのだ。つまり、そうした激しい気性の持ち主であったからこそ、ダービーのあとの大阪杯でも、感動の有馬記念でも、休み明けを苦にしなかったのだろう。また、休み明けであろうとなかろうと、いつも走りすぎてしまうタイプであっただけに、その気性が骨折を誘発した可能性も高い。
僕たちはどうしても、テイオーの見た目のかっこよさや、一般に“テイオーステップ”と呼ばれる独自の歩様にばかり目が行く。と同時に、競走生活の起伏に心を奪われ続ける。
だが今回、あらためて取材をしてみて、僕の中では、トウカイテイオーという名馬の輪郭がかなり変化した。骨折や休み明けにもめげず、持てる能力をいかんなく発揮した……そんな芯の強い印象から、実はひどく繊細で、気位が高く、目の前のレースに全力を出し過ぎてしまい、走り過ぎることによって骨折にも遭遇するし、激しい気性であればこそ、劇的な復活を遂げることができた……そうした素顔の実は持ち主であったわけだ。どこか付き合いづらいようでもあり、たいへん個性的であり、そのあたりは、かなわない思いとは言え、ぜひテイオー自身にじっくり話を聞いてみたい気がする。
93年の有馬記念で、これ以上ない奇跡に僕たちは遭遇した。同時に、心の中の振幅は頂点に達した。その奇跡と振幅は、まぎれもなく、トウカイテイオーという「きわめつきの個性」がもたらしたのである。
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トウカイテイオー TOKAI TEIO
1988年4月20日生 牡 鹿毛
- 父
- シンボリルドルフ
- 母
- トウカイナチュラル(父ナイスダンサー)
- 馬主
- 内村正則氏
- 調教師
- 松元省一(栗東)
- 生産牧場
- 長浜牧場(北海道・新冠町)
- 通算成績
- 12戦9勝
- 総収得賞金
- 6億2563万3500円
- 主な勝ち鞍
- 93有馬記念(GⅠ)/92ジャパンC(GⅠ)/91日本ダービー(GⅠ)/91皐月賞(GⅠ)/92大阪杯(GⅡ)
- 表彰歴等
- 顕彰馬(95年選出)
- JRA賞受賞歴
- 93特別賞/91年度代表馬/最優秀旧4歳牡馬/最優秀父内国産馬
2015年10月号掲載