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出走馬の様子
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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    史上初の七冠馬となり
    史上最強馬の称号を得た

     3歳で三冠プラス有馬記念を優勝したシンボリルドルフの快進撃は、古馬になってからも止まるところを知らなかった。

     初戦となった日経賞では、他に行く馬がいないとみると果敢にハナを奪った。そして、難無く逃げ切り勝ちを収め、自在性の高さを改めて知らしめると、続く春の天皇賞では3度目の三冠馬対決となったミスターシービーを三たび振り切り、5つ目のGⅠ制覇。

     その後、宝塚記念を取り消したため、春の天皇賞以来のぶっつけとなった秋の天皇賞こそギャロップダイナの強襲劇に屈したものの、続くジャパンCは道悪をモノともせず、1番人気に応えて勝利。さらに有馬記念をぶっちぎり、史上初の七冠馬となってみせた。

     史上最強馬の称号を手中に収めたシンボリルドルフは、翌春、アメリカへ飛び、サンルイレイSに挑戦した。しかし、レース中に故障を発症し6着に敗れる。結果的にこれが現役最後の一戦となった。

     シンボリルドルフが引退してしばらく経ったある朝のエピソードを藤沢が教えてくれたことがある。

     調教を終えた岡部と藤沢が、その日、跨った馬の将来について語り合っていた。何をどうすればよくなるかをディスカッションしていると、それを傍らで聞いていた野平が口を開いた。

    「何でもかんでもルドルフと比べてはダメだ」

     様々な要求に応え、成長していったシンボリルドルフの感触を知る岡部と藤沢は、それ以降にかかわった馬達にも自然と同じようになってくれることを願い、要求を出していた。

    「でも、同じように応えられる馬がそうそういるわけはない。野平調教師にそうたしなめられました」

     藤沢はそう言って苦笑してみせた。

     なるほど、野平の言うこともよく分かる。しかし、同時にこうも思う。藤沢と岡部のコンビは後に数々のGⅠ馬を世に送り出し、中にはタイキシャトルのように外国でGⅠを勝利する馬も育ててみせた。それらが史上最強馬シンボリルドルフとの出会いと無関係だったとは思えないのだ。シンボリルドルフの遺産は、きっと今でもかかわった人達を介し、日本の競馬界に影響を与え続けているのだと思う。(文中敬称略)

    結果的に現役最後のレースとなったアメリカン・サンルイレイS 【H.Imai(JRA)】

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    シンボリルドルフ SYMBOLI RUDOLF

    1981年3月13日生 牡 鹿毛

    パーソロン
    スイートルナ(父スピードシンボリ)
    馬主
    シンボリ牧場
    調教師
    野平祐二(美浦)
    生産牧場
    シンボリ牧場(北海道・門別町)
    通算成績
    16戦13勝(うち海外1戦0勝)
    総収得賞金
    6億8482万4200円
    主な勝ち鞍
    84・85有馬記念(GⅠ)/85ジャパンC(GⅠ)/85天皇賞・春(GⅠ)/84菊花賞(GⅠ)/84日本ダービー(GⅠ)/84皐月賞(GⅠ)/85日経賞(GⅡ)/84セントライト記念(GⅢ)/84弥生賞(GⅢ)
    表彰歴等
    顕彰馬(87年選出)
    JRA賞受賞歴
    84年度代表馬、最優秀旧4歳牡馬/85年度代表馬、最優秀旧5歳以上牡馬

    2015年9月号掲載

    平松 さとし SATOSHI HIRAMATSU

    1965年生まれ、東京都出身。日本大学農獣医学部を中退後、競馬専門紙を経てフリーのライターとなる。現在は雑誌やweb媒体のほか、テレビの台本や出演を手掛けるなど幅広く活躍。また、海外競馬の取材も積極的に行っている。著書に「王者の蹄跡 タイキシャトルと歩んだ人々」「栄光のジョッキー列伝」「沁みる競馬」など。

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