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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    海外で購入された良血繁殖牝馬と
    輸入新種牡馬との配合で生まれた

    【H.Watanabe】

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     北海道の早田牧場新冠支場で生まれ、庭先取引によって山路秀則氏が購入、栗東の大久保正陽調教師の元に預けられたナリタブライアンがデビューしたのは93年、2歳夏のことだった。

     オグリキャップが去って約2年半。ターフではその熱狂を受け継いだトウカイテイオーやメジロマックイーン、ミホノブルボンらが「競馬ブーム以降」の最初のヒーローとして活躍していた。

     2カ月半前には1つ上の世代のダービーが行われ、ナリタブライアンの半兄ビワハヤヒデとウイニングチケット、ナリタタイシンの三強が死闘を演じていた。

     後ろを見れば、この翌年にはサンデーサイレンスの初年度産駒がデビューを控えていた。オグリキャップの作ったブームとは別の意味で日本競馬が劇的に変わる、その前夜に現れた「SS以前」最後の怪物。それがナリタブライアンだった。

     ──という言い方は、こうして後から歴史を眺めているからできるわけで、当時はもちろんそんな見方はされていない。どころか、むしろナリタブライアンはオグリキャップたちすら旧世代に感じさせるほど「新しい」出自の馬だったのだ。

     ナリタブライアンとビワハヤヒデの母パシフィカスは、バブル時代末期の89年暮れに英国のせりで購入された。今でこそ海外での良血繁殖牝馬の購入は珍しくないが、当時は社台ファームなど一部の生産者以外もようやくそういうことを積極的に行うようになった頃で、父ノーザンダンサーという血統もあわせ、まさに「憧れの最先端」の牝馬だった。

     パシフィカスはせりの時点で受胎していたシャルードの仔を産み、これが後のビワハヤヒデとなる。そして間を置かずに種付けされたのが、供用初年度の輸入新種牡馬ブライアンズタイムだった。

     ブライアンズタイムは、結果的に初年度産駒からナリタブライアンを出したばかりか、牝馬でもチョウカイキャロルがオークスを勝利し、この世代を制圧することとなる。しかしじつは、この1世代前でも同じようなことが起きていた。輸入新種牡馬トニービンの初年度産駒ウイニングチケットとベガが、それぞれダービーとオークスを勝っていたのだ。

     うわっ、また新しい輸入種牡馬の産駒だ! どれだけすごい種牡馬を買えるようになっちゃったんだよ、日本の競馬は。

     ナリタブライアンの怪物的な強さに対する僕たちの畏怖にも似た感情には、そんな驚きが確かに含まれていた。

     その驚きは翌年のクラシックを席巻したサンデーサイレンスで三たび繰り返される。これらの種牡馬たちがその後「御三家」と呼ばれ長く生産界に君臨することを考えれば、ナリタブライアンの強さが異次元的だったことも説明がつく。それは、日本競馬のレベルが一気に何段も上がった瞬間を象徴したものだったのだ。

     とはいえ、デビューしたばかりのナリタブライアン自身は、まだそこまでの存在ではなかった。あのビワハヤヒデの弟。素質はあるけれど、今ひとつ脆いところのある良血馬。それが「怪物」へと変化するには、あるアイテムが必要だった。

     白いシャドーロールだ。

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