story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 05
風になった最強の逃げ馬
サイレンススズカの伝説
2015年7月号掲載掲載
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これまで一度も経験したことのなかった天才の独演会
騎手と競走馬。それぞれの天才が出会う舞台は海の向こうに用意されていた。
香港国際C。
「武くんもシンコウキングで行くことになっていましたから、そのときなら、と言うと、わかりました、と」
結果は5着と敗れはしたが勝ち馬との差は0秒3。のちに武は「香港で乗ったときからスズカは化け物だと思った」とコメントしている。
いずれにしても衝撃のデビュー戦から屈辱の弥生賞、不完全燃焼のダービー。そして一流の古馬たちとの対戦を経て、スズカの3歳は終わろうとしていた。
明けて98年。スズカはようやく心身ともに本格化し、未来に語り継ぎたい名馬としての道を歩み出すことになる。
「香港遠征から帰って一息入れた頃かな、ガラリと変貌しましたね。全体に幅が出て、激しい気性も姿を消しました」
卓越したスピード能力を持っているがマイラーではない。距離は1800㍍がベストだが2000㍍でも大丈夫。こう判断した橋田氏は1800㍍のレースを中心に使いながら距離を延ばし、最終的には秋の天皇賞を目指す。こんなプランを立てた。
2月14日、東京競馬場で行われたバレンタインS。鞍上は武。関東の土曜日に行われるオープン特別に騎乗するために出向いてきた。
1000㍍通過が57秒8のハイペースで進み、ライバルに影を踏ませず楽勝。
この後、冒頭の毎日王冠まで宝塚記念を挟み5連勝を記録するが、このわずか6戦の走りでスズカは語り継ぎたい名馬となった、と言ってもいいだろう。
私たちは、その“異能”に驚嘆し、彼が演じるショーを心の底から楽しんだ。
中でも圧巻だったのは金鯱賞だった。
正直、逃げてそのままというレースはこれまで飽きるほど見てきた。しかし、それは展開が味方したり、有力馬が牽制しあったり、といった“説明”のできるレースが多かった。が、スタートからゴールまで後続馬の存在をまったく気にかけず、当たり前のように走り、2着馬に1秒8の差をつけて走り抜けた逃げ馬の圧勝シーンは見たことがなかった。
スズカにとっては勝負の駆け引きも展開の助けも必要がなかった。何も画策することなく、自分のペースでひたすらゴールを目指す。あくまでも自然体で。
私たちはレース中、ただスズカの走りだけを見ていた。追跡者たちがそのスピードに戸惑うさまは、あえて観る必要はなかった。これまでの競馬観戦で一度も経験したことのなかった天才の独演会。それが楽しかった。面白かった。
彼には何もいらない。思うままにしろ。そして思うままに駆けろ。
この頃の私たちの偽らざる心境だった。
そして、11月1日。天皇賞・秋。
いつものようにショーは始まり、いつものように幕を閉じるはずだった。しかし4コーナー手前、スズカが突然バランスを崩したとき、快速伝説は未完のまま終焉を迎える。
あの日、どれだけ痛快なシーンを見せてくれたのだろうか。どれだけ前を走っていたのだろうか。
サイレンススズカ。GⅠの勲章はわずか一つ。それでも、未来に語り継ぎたい名馬。彼の最期を実際に目の当たりにしたとき、少なくとも私にとって競馬観戦の楽しみの一つは失われた。そして、その思いは驚くほど多くの人々が共有していたのだ。歓喜の日曜日となるはずが、一転して沈黙の日曜日に。やがて声を取り戻したとき、私たちは語りはじめた。スズカがいなくなった寂しさと駆け引きのない勝負の清々しさを――。
語り継ごう、彼と過ごした素晴らしい日々を。これからも、いつまでも。
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サイレンススズカ SILENCE SUZUKA
1994年5月1日生 牡 栗毛
- 父
- サンデーサイレンス
- 母
- ワキア(父Miswaki)
- 馬主
- 永井啓弍氏
- 調教師
- 橋田満(栗東)
- 生産牧場
- 稲原牧場(北海道・平取町)
- 通算成績
- 16戦9勝(うち海外1戦0勝)
- 総収得賞金
- 4億5906万7000円(うち海外308万3000円)
- 主な勝ち鞍
- 98宝塚記念(GⅠ)/98毎日王冠(GⅡ)/98金鯱賞(GⅡ)/98中山記念(GⅡ)/98小倉大賞典(GⅢ)
- JRA賞受賞歴
- 98特別賞
2015年7月号掲載