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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    ぜったいに勝たないといけない立場だった天皇賞・秋

     ダービーに勝ってからのウオッカは迷路をさまよっていた。ダービーで運を使いはたしてしまったのではないかと思えるほど、やることなすことすべてが裏目にでている感じだった。

     はじまりは凱旋門賞出走計画だった。

     凱旋門賞前の腕試しもかねて出走した宝塚記念では年上の男馬たちを向こうに回して1番人気に支持されたが8着に負けている。4コーナーを回って内を突いて先頭に立とうとしたときにはスタンドを沸かせたが、直線で力尽きた。

     それでもフランス遠征計画は着々と進められた。本番前に一度ロンシャン競馬場の重賞を使うローテーションが組まれ、角居調教師はフランスに渡って預ける厩舎の視察もしてきていた。

     その矢先にアクシデントはおきた。右後肢に蹄球炎(蹄の肉球の部分におきる血豆のような炎症)を起こしてしまったのだ。さいわい大事に至るけがではなかったが、遠征は中止になり、秋は国内でレースに専念することになった。

     一度狂った歯車はどんどんおかしな方向に回りはじめていく。

     秋華賞では桜花賞につづいてダイワスカーレットに敗れると、エリザベス女王杯は当日の朝になって右後肢の跛行で急遽出走を取り消している。

     その2週間後のジャパンカップではスローペースを最後方から追い込むという大胆かつ無謀なレースで4着。歯がゆい思いだけが残る敗戦になった。

     さらにファン投票で1位に選ばれたことで予定していなかった有馬記念に出走したが11着に惨敗。デビュー以来最悪の結果となった。

     4歳になってGⅡの京都記念で6着に敗れ、ドバイシーマクラシックも4着、帰国後のヴィクトリアマイルも断然の支持を受けながら2着に負けてしまう。

     ダービー後7連敗。悔しさともどかしさと、なんともいえない苛立ちさえおぼえるレースがつづいた。

     ウオッカは終わったのか――。

     そんな声もではじめたとき安田記念で1年ぶりの勝利を手にする。

     それまでの追い込みのスタイルから一変して、すんなりと先行すると、一度先行馬を前に行かせ、直線ではインコースからきれいに抜け出してきた。じょうずなレースだった。どうしてこれまでこの走りができなかったのかと、不思議に思えるほど完璧な勝利だった。

     憑き物が落ちたのか、ようやくウオッカらしさが戻ってきた秋、ダイワスカーレットとの名勝負がうまれる。

     08年11月2日。天皇賞・秋。

     あのレースを見終えたあと、あなたはだれとどんな話をしただろうか。そして、あなたはいつそれを思い出し、いま一度語り出すのだろうか。

     あのレース。ウオッカはぜったいに勝たないといけない立場だった。

     それまでダイワスカーレットとは四度顔を合わせ、初対戦のチューリップ賞に勝っただけだった。桜花賞と秋華賞で負け、有馬記念では2着のダイワスカーレットから大きく後れをとっている。

     しかし、こんどは有利な条件での戦いだった。2着だったとはいえ毎日王冠をステップにして順調に仕上がっているウオッカにたいして、ダイワスカーレットは左前脚の故障で7カ月におよぶブランクがあった。ましてや今回はウオッカが得意とする東京競馬場である。

    「もし、この条件で勝てなかったら、もうずっとダイワには勝てないだろうという思いはありました」

     天皇賞の1週間後に会った角居調教師もそう語っていた。

     ダイワスカーレットが故障で翌年早々に引退してしまったために、ライバルが顔を合わせたのはこれが最後にもなった。その雪辱のラストチャンスでウオッカは勝利した。

     それにしてもすさまじいレースだった。牝馬の戦いとは思えないほど厳しく、迫力に満ちていた。

     レースは99%ダイワスカーレットが支配していた。自らハイペースで逃げ、粘り、外から追い込んできたウオッカに交わされたかと思ったゴール前でふたたび踏ん張り、前に出たと思ったところがゴールだった。

     だが、長い写真判定の末、勝ったのはウオッカのほうだった。その差はわずかに2㌢。2000㍍走って2㌢差である。ウオッカの鼻先が前に出ていたのはゴールの瞬間だけだった。最後の1%でウオッカが勝者となった。

     ダービーが記録として語られるならば、あの天皇賞は記憶としてわたしたちのなかに長くとどまることだろう。

     あの日のわたしの記憶は写真判定を待つ検量室前にたどりつく。『優駿』(08年12月号)のレースレポートにこんなたわいのない話を書いている。

    <検量室のまわりは競馬関係者とマスコミ人でごった返していた。だれもが高揚し、終わったばかりのレースについて語りたくてたまらないようすだ。

    「すごいね。TT以来だ」

     あいさつもそこそこに同業者の先輩が話しかけてきた。ほんと、そうですね、と答える自分の声もうわずっている。>

     トウショウボーイ、テンポイントの有馬記念以来の名勝負だと語っていた「同業者の先輩」は先月他界されたスポーツライターの阿部珠樹さんである。

     名勝負の記憶は人の記憶にも重なる。

    【JRA】

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