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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    情報の不完全性が高めた神秘性
    そして競馬ブームの代名詞へ

    爆発的にヒットしたオグリキャップぬいぐるみ 【JRA】

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     以上のように書くと、ある疑問を突きつけられるかもしれない。時代がそうだったというなら、仮にオグリキャップがいなかったとしても、競馬ブームは来たのか? という疑問だ。

     おそらく来たのだと思う。ブームはひとつのきっかけのみで始まるとは限らない。83年に三冠を獲ったミスターシービーは新しいファン層を呼び込んでいたし、売り上げは増加し続けていた。88年のダービーは「クラシック登録の無いオグリキャップが出られなかったダービー」だが、同馬不在でも売り上げはそれまでのレコードを更新した。ウインズ渋谷では、馬券を求める人の列が明治通り沿いに長く伸びたというエピソードさえある。

     ただ、オグリキャップが中央に来るまでは、決定的なスターが不在だった。88年といえば、バブル景気の恩恵が広く浸透し、物質だけでは収まらない消費の波が娯楽や文化へと広がっていった時期。しかも、ハイカルチャー・メインカルチャーよりサブカルチャーが持て囃されつつあり、競馬にとっての好機は確実に来ていた。唯一不足していたのがスターホースだ。

     ミスターシービーやシンボリルドルフは既に引退し、メジロラモーヌも86年末で引退した。その後は圧倒的な成績を示す馬が現れず、オグリキャップの同期も三冠はそれぞれ異なる馬が勝っている。

     そこに現れたのがオグリキャップだ。しかもこの馬は登場の仕方も良かった。いまの時代から中央入りした当時を振り返ると、情報の不完全性が馬の神秘性を高めていたことが分かる。

     いまのようにネットで地方競馬を見たり、J-PLACEで馬券を買ったりできる時代ではない。それどころか、中央競馬の枠内でも東西の競馬はかなりの割合で分離して行われ、東のファンが西のレースを、西のファンが東のレースを見ることさえ簡単ではなかった。競馬週刊誌の成績欄でしか詳しい結果は確認できず、その週刊誌も関東版と関西版に分かれていた。

     関東のファン目線だと、まず笠松競馬場がどんなところか、全く分からない。知る術もない。そこからやってきた馬がペガサスS、毎日杯と重賞を連勝したらしい。その馬をはじめて見る機会がニュージーランドトロフィー。そこで目の当たりにする7馬身差の圧勝。見えない情報が多かったからこそ、強さを突きつけられたときの衝撃も大きい。

     こうして、オグリキャップは競馬人気の旗手を担うこととなった。主役となるうえで不足していたGⅠタイトルの獲得だけは天皇賞・秋、ジャパンカップと足踏みしたが、有馬記念で去り行くタマモクロスを下し、手に入れた。これをもって、オグリキャップは競馬ブームの代名詞的存在となったのだ。

     実際のところ、競馬のコアファンの中で地位を確立したのはニュージーランドトロフィー、世間一般に浸透したのが88年の有馬記念から、その次走のオールカマーにかけて。当時のニュアンスはそのようなものだったのではないかと思う。

     タイミングというのは重なるもので、この時期の中山競馬場はメインスタンドの改装期間。灰色で古いイメージのスタンドが、白く近代的なそれへと変貌しつつあった。そこへ若いファンが詰めかけ、パドックは熱気に包まれることになる。新しい時代の予感は、実感に変わりつつあった。

     一方、新しいファンの増加とともに、ファン気質にも新たな側面が加わっていった。馬券以外の手段によっても競馬を楽しむファンの増加である。

     競馬においては馬券がメインカルチャー。しかし、サブカルチャー的な楽しみ方が広がったのだ。競馬自体がサブカルチャーだとすれば、「サブカルチャーのサブカルチャー」だ。

     88年に別冊宝島が競馬シリーズを出しはじめ、90年以降は競馬雑誌が次々と創刊された。そのほとんどにおいて、馬券検討は主たるコンテンツではなかった。89年には漫画『馬なり1ハロン劇場』の連載が始まった。オグリキャップからは少し遅れているが、91年にはゲーム『ベスト競馬・ダービースタリオン』が発売されている。

     社会一般にも認知された「競馬サブカルチャー」には、馬のぬいぐるみがある。競走馬を愛玩動物のようにとらえる感覚は競馬≒馬券だった時代には考えられなかったものだ。そのぬいぐるみ市場においても、オグリキャップは絶対的なエースだった。

     社会一般に認知されたといえば、「オヤジギャル」という言葉があった。若い女性がそれまで足を踏み入れなかった消費領域に入りだしたとして話題を呼んだのだが、ゴルフ、居酒屋などと並んで象徴とされたのが競馬だった。「オヤジギャル」が流行語大賞の新語部門・銅賞を受賞したのが90年。この言葉を生んだ漫画は89年に連載を開始している。オグリキャップの現役後期にあたる。

     つらつらと具体例を挙げてしまったが、簡潔に言うと要するにこの時代、若いファンが大量に流入し、しかもひたすら浮かれていたということである。

     いや、若いファンだけではない。競馬界全体が高揚感に満ちていた。競馬以前に社会全体が浮き足立っていた。バブル景気の恩恵を受けている者はもちろん、さほど受けていない者でさえも、多幸感に包まれていたのだ。競馬においてのみシビアに現実を見つめたり、冷静に俯瞰してみたりするはずがない。

     そんな時代だったからこそ、今にして思えばオグリキャップの「見たくない部分」から皆が目をそむけていたような面も正直あったと思う。オーナーの交代や、89年有馬記念での大敗、すっきりとしない乗り替わりなど……ユーフォリア(幸福)気質になっていた当時のファンがそこをわざわざ見つめ続けるはずはない。マイルチャンピオンシップ→ジャパンカップの連闘劇や、そのジャパンカップにおける驚異のレコード(同タイムの2着)など、肯定的な記憶で全体が上書きされていったというのが当時のムードだった、と言っていいだろう。

    【JRA】

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