story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 02
新時代の到来を告げた絶対王者
オルフェーヴルと世界の頂点
2015年4月号掲載掲載
東日本大震災の年に現れた
やんちゃで強い三冠馬
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4歳以降の印象があまりにも強烈なため、ともすればプロローグ扱いをされかねないのだが、オルフェーヴルは日本競馬史上に誕生した7頭目の三冠馬である。
2歳8月のデビュー戦からして既に、オルフェーヴルは明らかに非凡なものを見せつけている。前年にグランプリ春秋連覇を達成したドリームジャーニーの全弟として、兄と同じ新潟競馬場で初出走の時を迎えたオルフェーヴル。兄の主戦も務める池添謙一を背に、重馬場の芝1600㍍戦を中団から差し切ったのだが、抜け出しながら内に急激に切れ込むというサンデー系にありがちな癖を見せながらのデビュー勝ちだった。そしてゴール後は制御不能に陥り、池添騎手が落とされるという有名なエピソードが生まれたわけだが、実はレース前に既に装鞍所でひと暴れし、植え込みに突進するなどの蛮行に及んでいたことを、後になって知らされた。1レース走り終わった後に、いや、装鞍所を含めると2レース走り終わった後に「やんちゃ」を仕出かす余力が残っていたというのが驚異的で、まさにオルフェーヴルという競走馬が持つ二面性が如実に表れた新馬戦となった。
その後オルフェーヴルは、4連敗を喫する。
この時期の低迷には、2つの理由があるとされている。1つは、5月14日という遅生まれのため、この頃のオルフェーヴルは戦いの場に出向くには、心身ともに幼すぎたということ。
そしてもう1つは、目論見通りに事が進まないのは、父がステイゴールドであるゆえ、とする説だ。
現役時代のステイゴールドが海外で走った2戦で見せた強さは、壮絶にして鮮烈なものであった。そんな馬が、国内ではGⅠ未勝利で、のみならず6歳春まで重賞すら勝ったことのない馬だったという事実に、改めて驚かされる。海外という非日常に置かれて初めて本性が剥き出しになり、しかも露わになった能力は世界を驚嘆させるものだったという、こういう競走馬を目の当たりにしたのは、日本の競馬ファンにとっては初めてだった。
そして今、別格のディープインパクトに次いで、サンデー直仔の中では序列としてハーツクライとナンバー2の座を争う位置にいるのが種牡馬ステイゴールドである。異郷での強さを伝承し、凱旋門賞2着馬を2頭出している一方で、現役馬ではゴールドシップを代表格とする、目論見通りにはならぬ馬も輩出して、関係者やファンを翻弄している。
ステイゴールドは今年2月5日に大動脈破裂で急逝。死に際に至るまで、人間どもの意表を突いた馬であった。
東日本大震災の影響で、東京競馬場に舞台を移して行われた皐月賞を、オルフェーヴルは3馬身差で快勝。台風2号の影響で土砂降りの雨の中での開催となったダービーでも、定まらぬ脚元にも遮られる視界にも全く動じずに優勝。ヨーロッパに出かけても通用するのではないか、との声が聞かれ始めたのは、この頃だった。
三冠目の菊花賞も危なげなくモノにすると、力が有り余っていたオルフェーヴルは1コーナー奥の外埒際まで疾走した挙句に急停止し、再び池添騎手を振り落すという「余興」を演じている。
私たち日本のファンがこの馬の真価を認めたのは、1世代年上のダービー馬エイシンフラッシュをはじめ、ルーラーシップ、ブエナビスタ、ヴィクトワールピサといった古馬の一線級を撃破した2011年の有馬記念だったように思う。12月25日が開催日となったこの年の有馬記念は、レースが発走する頃からにわかに雪が降り始め、表彰式は風花が盛大に舞う中で行われた。幻想的ではあったが、しかし、最後の最後になって風雲を呼んだオルフェーヴルの近未来に、いささかの不安も感じた光景だった。
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